「戦争をしない国 明仁天皇メッセージ」
click 戦争をしない国 明仁天皇メッセージ/矢部宏治、須田慎太郎著/小学館
衆目にさらされる人たちの中で、明仁天皇はきわだって日本国憲法をまもろうとしていると 多くの人が感じはじめているのではないか。
大辞林で「まもる」と検索してみると3つの項目があるが、そのはじめの2つには、例文を省くと こう書かれている。
(1)大切な物が失われたり、侵されたりしないように防ぐ
(2)決めたことに背かないようにする
「憲法をまもる」という時に、ぼくたちは無意識のうちに (1)を思い浮かべがちだけれど、(2)の意味は つい忘れそうになる。おもに、公職にあるひとが自らを律するものだからだろう。
明仁天皇を、おだやかでやさしい 誠実なひとだとは、おそらく大部分の人々が感じて来たことだろう。しかし天皇は、皇太子時代も含めて 過酷な環境の中であらん限りの力をふりしぼって、この二つの意味で日本国憲法を護ろうとして来たのだと、この本を読んだあとでは思う。
A級戦犯が絞首刑に処せられたのは1948年の12月23日。この日付は現在の天皇誕生日、当時の皇太子 15歳の誕生日という日が あえて選ばれたのだ。その多くが日本を滅びの淵に導いた者たちだったとはいえ、なんというバースデープレゼントだろう。誕生日にひつぎがならべられたのだ。
その翌日、現首相の祖父 岸信介や笹川良一らが自由の身となった。
のちに海洋博に際し、体調をくずした昭和天皇に代わって沖縄を訪れた皇太子夫妻に対し 阻止行動がおこなわれ、ひめゆりの塔を訪れたときには 近くの地下壕に潜んでいた活動家が火炎瓶を投じる事件が起きた。
しかし、そのときに皇太子夫妻が示された態度と その夜に配られた「談話」と帰京後に詠まれた琉歌(琉球のことばで詠まれた定型詩)が沖縄県民のこころを少なからず動かしたということも、ぼくは初めて知った。
この本に「明仁天皇のメッセージ」という副題がつけられているのは、さまざまな機会に行われた天皇の公式会見のことばや歌会始などにさいして詠まれた歌に込められた思いを読み解き、あるいは 皇太子時代を含めて かつて身近にあった人たちの証言記録にもとづいて、戦争と平和についての明仁天皇の考え方と志を明らかにしたものだからだ。
- 2016.03.13 Sunday
- 歴史
- 18:31
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- by 玉井一匡