日本のランキング:50位と59位

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     ぼくがたまに銀座に行くとすれば、おおかたはMacやiPhoneの修理のためだが、先日もアップルストアの帰りにAlfred Dunhillの店の前を通りがかると、サッカー日本代表が監督を中心に勢揃いした写真がショウウィンドーを独占していた。
    iPhone5をSIMフリーの6plusに替えて間もないぼくは、画質が向上したと言われるカメラを試したくて ガラス越しにiPhoneを向けてパノラマモードで撮った。

     ショウウィンドーのガラスには、銀座通りの向かい側の街並と歩道をゆく人たちが写りこみ、ぼく自身は十数枚の写真を合成デフォルメされた反射像で参加している。虚実が入り乱れてどれが本当なのかわからない写真を、さらに左右反転させて 道路の向かい側のビルのTIFFANY&Co.という文字がまともに見えるので、ますます虚実の区別がつかなくなる。

     秘密保護法というものは、こんなふうに世界の見え方を操作する編集ソフトのようなものだ・・・だれかにとって都合よく見えるようにあるいは見えないようにする。

     

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       今日、ぼくはMacのデスクトップの写真を替えた。
      クリストのドイツ国会議事堂の梱包のスケッチから白い自転車にした。とても魅力的な自転車だとぼくは思うけれど、走ることを追求しようという純正の自転車乗りは、別の見方をするだろう。
       なにしろ、走ることに特化された自転車からは邪魔者扱いされ排除されるキャリアや泥よけのようなものを、魅力にしようというのだから、むしろ無骨というのがふさわしいかもしれない。

       もうすこし近づいてみるとチャーミングにみえる。二等辺逆三角形のメインフレームの前後には大きなラグがある。ラグというのは、フレームを構成するパイプを接合する部分の継ぎ手だが、溶接の技術が向上したからなのだろう、いまの自転車は大部分がラグを使わずにパイプ同士をじかに溶接するようになっている。このラグは、前後にキャリアをかんたんに引っかけられるし、前にはLEDのライトが埋め込まれ、後ろにはワイヤロックが仕込まれている。後ろのキャリアの代わりに子供用のシートを取りつけることもできる。

       

      「武装解除」

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        「武装解除」/伊勢崎賢治著/講談社現代新書

          武力紛争の現場にあって外国の軍隊を指揮するという 現在の日本では稀有な経歴を持つ人の著書を読んだのは、友人石原秀一さんにメールで薦められたからだ。

         東ティモール、シエラレオネ、アフガニスタンという、激しく凄惨な武力紛争の地で 著者の活動と眼を通して 武力紛争のありさまを知り、現行憲法のもと日本の置かれた状況の中で我々はどうすべきなのかを考えさせる。
         さらに、行政も治安も 国家をつかさどる主体がほぼ失われたところで、それを組み立て直す過程を見るうちに、国家とは何なのかをぼくたちは考える。

         著者伊勢崎賢治は、建築学科の大学院在学中にインドの大学の国費留学生となって、ボンベイ(ムンバイ)のスラムで生活環境の改善にたずさわるが、それにあきたらずインドのNGOの職員としてスラムに住み込んで 内側から住民の市民運動を支援し指導する仕事に就く。その後、国際NGO・Plan Internationalの職員となって西アフリカのシエラレオネに派遣され 現地事務所 所長となると、豊富な資金もあって なかば行政府の長のような立場で多くの公共事業を行い、ケニヤ、エチオピアにも赴任して10年間を過ごした。

         一時帰国して数年後、国連の主導する暫定統治機構の一員となって日本から派遣され インドネシアから独立する東チモールの、国家としての基本的な骨格づくりをおこなった。本人は県知事のような立場と言うが、読んでいるとむしろ かつてのマッカーサーに近いかもしれない。規模は小さいが、旧行政府がなくなり憲法すらいまだつくられていない国で、武装解除から軍隊まで含めた秩序を作り上げるのだから。

        落合の畑の柵

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           あと数年で姿を消すに違いないと思いながら,毎朝のようにその前を自転車で通り過ぎる畑がある。そこは落合の住宅街を抜けるせまい道路に面しているのだ。

           写真に記憶させておきたいと思いながら、ぼくはいまだにそれを満足に撮れずにいる。
           鮮やかな緑の巨きな葉は、十数年前に前を通るようになってから この畑に初めて現れた作物だ。野菜のスケールを超えて、ひと株が縦横1メートルもあろうかという大きさは、鉢に植えたら魅力的な観葉植物になりそうだが、長い根には背の高い鉢が必要になるだろう。
          こうしてみると、植物は色と陰影によって光というものの存在を気づかせてくれるのだと実感する。しかも、この地球上で植物だけが光と水によって生命をつくり出す生物なのだ。

           先日、畑のあるじBさんが鍬を片手に収穫していたので、自転車を停めて またがったままぼくは話しかけてみた。5,6メートル離れているのですこし声を張り上げなきゃならない。
          「牛蒡ですか?」
          「はい」
          「見事に育ちましたね」
          「トウが立ってしまいますから・・・」
          ・・・だから、大きくなればいいというわけにはゆかないんだということだろう。

           十数年も この道を通っているのに、ぼくはやっと思いきって声をかけた。まるで通学路で顔をあわせる少女に勇気をふりしぼって声をかける少年のようだが、はじめての会話だというのに
          これだけで終った。Bさんが牛蒡の向こうに行くと、大きな葉に姿が隠れてしまうのだ。直角に近いほど腰が曲がっている。
           季節ごとにさまざまな野菜や花が現れる畑には、いま、牛蒡の前に菖蒲が光琳を気どって たくさんの花をつけ、背後には花のまばらになった菜っ葉が牛蒡よりもはるかに高く背をのばしている。
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