明治神宮 と大正デモクラシー、そして新国立競技場

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     世界中でつづく殺しあいと壊しあいに人々の目が向けられるのをさいわいに、当局は新国立競技場の批判を小手先の縮小変更でやり過ごして予定通りに進めようとしている。
     しかし、パレスティナやウクライナの深刻きわまる事態を思えば、新国立競技場の建て替えなら いまからでも方向転換できる問題であることがわかる。オリンピックをはじめとする国際的なスポーツ大会が利権やナショナリズムと支えあっているとはいえ、理念としては世界の平和と共存をかかげているし、国内で決心すれば変えられることなのだから。

     新国立競技場のコンペについて建築家槇文彦氏が建築家協会の小冊子に投じた一文が最初の批判だった。
    ここで槙さんは、コンペの主催者が設定したプログラムを批判し、それに代わるべきプログラムを示したうえで、市民ひとりひとりが都市の環境をつくろうとする意識を持ってその構築に加わることを求め、それを支える制度も提唱した。ここでいうプログラムとは、あらたな国立競技場をつくるにあたって目ざすべき競技場のありかたのことだ。・・・ここでもういちど読み返してみないか
    新国立競技場を神宮外苑の歴史的文脈の中で考え」(JIAマガジン2013年8月号 p9-15)を。

     新国立競技場の計画を神宮外苑の歴史的文脈の中で展開するのは当然のことなのだが、ぼくにとって外苑は子供時代から身近な場所でありながら、歴史的に考えようとすれば、すぐには明治神宮に共感することはできなかった。
     もう10年近く前かもしれないが、ビヨークがニュース23にゲストとして出たときのこと、「日本には自然を神とするシントーという宗教があるそうですね」と共感をこめて言うのを聞いて、ぼくはいささか面はゆい思いがした。明治神宮が神としているのは、じつは天皇なのだし、明治政府は神道を中央集権化するため 各地に固有の神社を廃して、中にはその神木をはじめとして山の木が売られたことさえあった。それに対して南方熊楠が地元の神社を護るために立ち上がったこともある。国立競技場で学徒出陣の壮行会が行われたことも、何年か前までは日朝合邦記念碑と刻まれた大きな石碑が表参道にあるのを見ておどろいたこともある。

     ところが、神宮外苑の歴史的文脈の拠りどころとして槙さんが挙げた「明治神宮 「伝統」を創った大プロジェクト」(今泉宣子著)という本には、明治神宮を構想し計画しつくりあげた経過と、それにかかわった人々について書かれていて、これまでとは違う側面がいくつもあるのだ。
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