小説「舟を編む」

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    舟を編む/三浦しをん/光文社
     

     昨年の10月にネットから図書館の貸出予約をしようとすると、すでに300人以上が待っているので、とりあえず本を予約しておいて先に映画を見た。
    その後、図書館が蔵書を5冊に増やしてくれたおかげで行列の進行がはやくなったものの、やっと先週に順番が来た。映画「舟を編む」が「日本アカデミー賞」の一等賞をたくさんもらった翌日だ。

     すでに映画を見ているのに、小説を読んでもすこぶる面白い。映画を先に見たから俳優の顔が浮かんでくるのだが、映画で小林薫と加藤剛が演じる二人の人物が、小説では両方とも橋爪功になってしまう・・・二人が会話することも多いのに、なぜなんだろう。
     

     小説をもとにしてつくられた映画は、もともと軸となる物語を背景であるかのようにしてラブストーリーに変えられてしまうことが多い。アメリカ映画ならベッドシーンを入れるのがサービスだと思いこんでいる。

     ところが、この小説では恋物語の比重が映画よりも大きい。逆に言えば、映画では恋物語の描写をシンプルにしている。「CLASSY」に連載されていたのだときいて、雑誌の読者に「辞典小説」を読ませるには、恋で味付けしなければならなかったのだろうと合点がいく。にもかかわらず、けっして辞典小説であることから逸脱していない。

     いや、これは言葉をテーマにした「ことば小説」なのだと考えれば、ことばによって組み立てられてゆく辞典づくりと、ことばの「意味するもの」と「意味されるもの」が微妙にすれ違ったりする恋を、ひとつのカテゴリーにくくることができるではないか


    「青春の柳宗悦」

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       しばらく前から、「夕刊フジ」の一面には韓国や中国に対する否定的な あるいは挑発的な記事が毎日のようにトップ記事として掲載されている。その頻度と取り上げる姿勢はマスメディアとして正気とは思えないほどなので、駅の売店に並べられた新聞の大きな文字を目にすると、ぼくはいつも腹立たしく情けない思いを抑えきれない。

       それが大部分の人が見向きもしない極端なナショナリズムの新聞とされているなら、我々の社会は、さまざまな意見を許容するほど自由であることの証しとでも思うが、首都圏のかなり多くの人々が仕事帰りに読む新聞だから、これにはむしろ自由の危機を感じるのだ。

       しかし、日本が現在よりもはるかに強くナショナリズムにつき動かされ隣国を併合し戦争をつづけていた時代にありながら、柳宗悦は朝鮮の美術・工芸の価値をひろく理解させようとして、日本で朝鮮であらゆる手をつくした。この本の副題が「失われようとする光化門のために」であるのは、当時の日本が朝鮮総督府の庁舎を王宮前につくり王宮の正門である光化門を取り壊そうと計画していたのを、柳が論陣を張って押しとどめたことを指している。
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