平成中村座で法界坊
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平成中村座で「法界坊」:「隅田川続俤」(すみだがわごにちのおもかげ)を観た。
一昨年は相撲、今年は歌舞伎と、いずれもつよい興味と関心がありながら行ったことがなかったものを初めて観る機会に恵まれた。 平成中村座は、隅田川のほとり待乳山聖天(まつちやましょうでん)と道をはさんだ向かい、野球場と体育館の狭間につくられている。 12年前に勘三郎がまだ勘九郎だったころ小屋掛けの平成中村座をここに立ち上げたのは中村座にゆかりの土地だったからだし、そのときの演し物にこの芝居を選んで、法界坊のなりで浅草の町に出没したのだそうだが、それというのも主人公がこの界隈の住人であるからで、ぼくにとって初めての歌舞伎がこの場所でこの演し物だったのはなんとも幸運なことだった。そのうえ、頃は桜がそろそろおわろうとしているから花びらが風を染めて道にも敷き詰められている。
ここは隅田川から吉原へとつづく谷中堀が始まるところだが、多くの掘割がそうであるように今では堀は土の下に埋葬されている。待乳山聖天は、舟に揺られて遊里をめざした男たちが隅田川をのぼるときの目標にしていたところだと容易に想像がふくらむが、この芝居の最後の場面三囲(みめぐり)土手の背景の絵は、川向こうから平成中村座のあたりを見た隅田川べりで、桜並木の爛漫のむこうの小高いところに待乳山聖天があって、その脇の橋の下には山谷堀があるという仕掛け。芝居も小屋のまわりもすっかりひとつながりなのだ。
平成中村座で「法界坊」:「隅田川続俤」(すみだがわごにちのおもかげ)を観た。
一昨年は相撲、今年は歌舞伎と、いずれもつよい興味と関心がありながら行ったことがなかったものを初めて観る機会に恵まれた。 平成中村座は、隅田川のほとり待乳山聖天(まつちやましょうでん)と道をはさんだ向かい、野球場と体育館の狭間につくられている。 12年前に勘三郎がまだ勘九郎だったころ小屋掛けの平成中村座をここに立ち上げたのは中村座にゆかりの土地だったからだし、そのときの演し物にこの芝居を選んで、法界坊のなりで浅草の町に出没したのだそうだが、それというのも主人公がこの界隈の住人であるからで、ぼくにとって初めての歌舞伎がこの場所でこの演し物だったのはなんとも幸運なことだった。そのうえ、頃は桜がそろそろおわろうとしているから花びらが風を染めて道にも敷き詰められている。
ここは隅田川から吉原へとつづく谷中堀が始まるところだが、多くの掘割がそうであるように今では堀は土の下に埋葬されている。待乳山聖天は、舟に揺られて遊里をめざした男たちが隅田川をのぼるときの目標にしていたところだと容易に想像がふくらむが、この芝居の最後の場面三囲(みめぐり)土手の背景の絵は、川向こうから平成中村座のあたりを見た隅田川べりで、桜並木の爛漫のむこうの小高いところに待乳山聖天があって、その脇の橋の下には山谷堀があるという仕掛け。芝居も小屋のまわりもすっかりひとつながりなのだ。
- 2012.04.16 Monday
- 越境
- 23:36
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- by 玉井一匡