キャパの時代・ぼくたちの時代

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     沢木耕太郎の「キャパの十字架」のあと、ぼくはずいぶん長いあいだエントリーしないまま、やがてふた月になる。
     言いたいことがなくなったからではなくて、言わなければならないことや 知りたいことが次から次へと出てきて、それらがたがいにつながっているうえに、いま われわれの生きる時代とも深くつながっているから、ときに腹立たしくときに落ち着かなくなるのだ。

     「キャパの十字架」を読み終わったあと、どうも釈然としないところがあった。それは、このノンフィクションと並行して同じ題材のNHKのドキュメンタリー番組に沢木がたずさわっていたことと関わりあるにちがいないが、ぼくはそれをまだ見ていないのだとブログに書いた。
     すると、すぐに五十嵐進さんから、DVDにダビングして送るというメールをいただいて数日後には、NHK スペシャル「沢木耕太郎推理ドキュメント運命の一枚”戦場”写真最大の謎に挑む」日曜美術館「ふたりのキャパ」が届いた。

     このNHKスペシャルは、沢木自身が案内役をつとめ、ナレーションの文章も沢木の書いたものが使われるくらい、彼自身が深く関わって「十字架」と同じ道筋でおなじ結論に至るのだ。しかし、たった一枚の写真という題材を検証するとあっては、映像とコンピューターがやすやすとやってのけることに、文章はとてもかなわない。
     DVDを見たあとに、沢木自身を動かしたのは何だったのか、それ以上にキャパとその時代について知りたくなったぼくは「ちょっとピンぼけ」もまだ読んでいないのだが、沢木の翻訳した二巻の伝記「キャパ その青春」「キャパ その死」(リチャード・ウィーラー著)を手に入れた。

     「十字架」とは対照的に、ウィーラー著・沢木訳のキャパ伝は、 さながらこの時代と人々がギッシリ詰め込まれた古い箱のようで、ふたを閉じようとしても中身が押し返してくるので閉じようがないほどだ。ファシズムが勃興し、それに抵抗し立ち上がった第二次大戦前後のヨーロッパとアメリカ、日本に侵攻される中国、イスラエルが建国されようとするパレスティナ、フランス植民地支配から脱しようとしているベトナムが、キャパという男の生き方を通じて描かれているのだ。


     世界を縦横無尽に駆け巡るキャパのうしろについて行くようにして時代と世界をめぐりながら、ぼくはすでに このあとにどんな時代が来るのかを知っている。あの時代のさまざまな出来事はなんと現在と似ているんだろう。いまもまた同じことを繰り返しているのは、国家・主義・人種といった枠組みが、それらを率いる人間の野心と力を増幅する装置になるからで、それがやがて殺戮と破壊をみちびくのだ。

     この伝記には二巻それぞれの巻末に訳注という枠をこえるほどの訳注がある。翻訳者という役割を終えた沢木の、キャパへの共感にみちた思いがあふれていて、「キャパの十字架」のあとがきのすこぶる歯切れが悪いのとは対比的だ。
     ぼく自身の掟を破って本の展開を書いてしまうことにするが、「十字架」では、兵士が撃たれたのは、じつは戦闘中ではなく演習で足を滑らせたところを撮影したものであり、しかも、撮影したのはキャパではなく 行動をともにしていた恋人 ゲルダ・タローである可能性が きわめて高いという結論に至って、あとがきに沢木はこう書いている・・・いまでも、「崩れ落ちる兵士」にまつわる謎のひとつに答えがでたいまでも、キャパに対する親愛の情は変わらない。・・・と、「いまでも」をくりかえして、はなはだ弁解がましい。


    「その青春」「その死」には、キャパが、もともと事実とは多少ちがうことを話したりキャプションに書いたりしていたことが書かれている。にもかかわらず、読んだあと、ぼくはキャパを非難する気にはとうていならない。著者がそういう視点に立って書いているからだ。まして、沢木のキャパに対する親愛の情が変わらないのはあたりまえだと、いまではぼくもわかる。
     沢木は、「崩れ落ちる兵士」は死の瞬間を撮ったものだったのか?、キャパ自身が撮ったのか?という、彼にかけられた二つの嫌疑を晴らそうとして「十字架」に取りかかったのではないか。ところが、調べてゆくほどに反対側の状況証拠が固められ、当初の目的とは逆の方向に向かってゆく。しかしNHKの手を借りてしまって撤退もままならないまま出版することになったということなのではなかったか。

     キャパの時代の新聞社や雑誌は、報道に登場して間もない写真というメディアを、勝手にトリミングして写真の意味を変えてしまったことなども「その青春」「その死」には書かれている。駆け出しの記者が現場で書いた原稿に、机の前で待ち構えたベテラン記者が赤を入れるのと同じような感覚だったのだろう。あの時代にあっては、ヒトラーやフランコと戦うことに役立つなら、写真を誰が撮ったかなど どうでもいいじゃないかと、ニュースの送り手も詠み手も思ったとしても不思議はない。

     キャパは戦地にあってもパリの酒場にあっても、ひとの心を奪う魅力あふれるやつ。ヘミングウェイは愛人がありながら、妻を離婚させようとしないのを知ると、ふたりの友人として妻のために一役買って出たやつ。世界一の売れっ子になっても定住せずホテルを渡り歩いたポーカーの大好きだったカメラマンは、戦場の死と悲惨を伝え、少なくとも自分の命をポーカーテーブルの上に賭け金として投げ出して来たのだ。


     沢木耕太郎は、かつて「若き実力者たち」の中で、都知事選挙に立候補した石原慎太郎の傲慢を ひとつの小さなエピソードで鮮やかに描いた。その男の行動と発言がきっかけになって、現在の日本は東アジアの国家間に無用の対立を引きおこした。選挙制度の魔法によって票数に不相応な圧倒的多数の議席をとった政党が、かつての首相の孫という肩書きだけが売り物の男たちを首相と副首相とするぼくたちの国の政府は、国家の対立を煽ってナショナリズムをつくりだそうとしている。まるで彼らの祖父の時代を再現するかのように。

     現実にぼくたちが手に触れる世界は、すでに国家などを超えて、行ったこともない国の片隅にいる ひとりの見知らぬ人の思いさえ じかにつたえられる。国家や主義や宗教という枠組みの引きおこす対立や殺し合いとは別の、ひとりひとりの人間のつながりができるようになっている。それを可能にする場を、憎しみや怒りを露わにするためではなく、思いを共有するように生かす方法を拡げることができれば、国家や宗教や人種の対立という束縛から、人間は自由になれるはずだ。

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