「初代 竹内洋岳に聞く」
昨年末のテレビで、ダウラギリに挑む長身の日本人登山家のドキュメンタリーを見た。
地球には8,000mを超える山が、いずれもヒマラヤに14あって、そのすべてに登頂した人は14SUMITTERといわれている。ドキュメンタリーの主人公・竹内洋岳(ひろたか)は、このダウラギリを登頂して日本人で初めて、世界で29人目の14 SUMITTERとなった・・・14の山を14座と数え、山の数え方に「座」という単位があること、竹内洋岳という登山家がいるということも、ぼくはことごとくこの番組を見て知ったのだが、この男とそのありかたをとてもいい感じだ、いい男だと思った。
その竹内が語ったことを記した「初代 竹内洋岳に聞く」という本がある。この本を書いた人はみずからを「著者」とせずに、表紙に「聞き書き 塩野米松」としている。インタビュアーでもないのは聞き手の発言がいっさい書かれていないし地の文もないからだろう。竹内自身のことばだけで構成されているので、読者はインタビューを横から見るのではなく、本人に向き合っているようだ。
8,000m峰14のうち10の登頂を果たして11番目のガッシャーブルム�に挑んだとき、竹内は大きな雪崩に遭い瀕死の怪我を負った。同行した3人の登山家のうちガイド1人は助かるが、1人が死亡、もう1人はいまも行方不明、竹内は雪に埋まって肋骨や背骨を骨折し肺をつぶされるが近くにいた登山者たちに雪の中から掘り出され、パキスタンの大統領にいたる たくさんの人たちの協力によって日本に搬送され手術で一命をとりとめる。「初代 竹内洋岳」の「初代」とは、このときに一度死にそこなって 生まれ変わったとして、それ以前の自分を初代としたというわけなのだ。
このあと1年ほどをリハビリですごしているあいだに、角館にある塩野の住まいを何度か訪れた時の会話をもとにこの本はつくられた。竹内の話を録音しておいて、文字起こししたものを、ひとたびバラバラにして時間系列から切り離したあと再構築する。それが塩野の流儀なのだ。
竹内が14の8,000m峰登頂を達成するか否か分からない時期に、塩野はあえてこの本をつくることにした。14座登頂という目標を達成した人ではなく、ひとりの興味深い登山家としての竹内洋岳の話を聞きたかったからだ。
竹内は、酸素ボンベをつかわない、シェルパの力を借りない、大規模な登山隊を結成して最後に選ばれた数人が登頂するという方法(極地法というそうだ)をとらない、日本山岳会もやめた。しかしさまざまな道具の進歩を積極的に取り入れる・・・より断熱性の高く重量の軽いゴアテックス、衣服やザック、より強くしたがってより細く軽いロープ、位置と高さを正確に知るGPSはより早くより安全な登山を可能にする。リアルタイムでヒマラヤからさえ交信できるUAEの衛星電話(スラーヤという衛星電話のようだ)を駆使してより多くの人にリアルタイムで山を伝えようとする。山の仲間だった猪熊隆之による局地天気予報を信頼して山の行動の日時を決める。・・・8,000m級の山頂に達するとは何かということを僕たちが知る接点がさまざまにたくさんあることが分かる。
登山とはほとんど無縁であるぼくが図書館で借りて読んだあと、この厚い本を買って自分のそばに置いておきたいと思った。ヒトとモノそしてヤマに対する竹内の接し方に共感し、それらを繰り返し読みたいと思ったからだ。
■関連ブログ・ウェブサイト
このあと1年ほどをリハビリですごしているあいだに、角館にある塩野の住まいを何度か訪れた時の会話をもとにこの本はつくられた。竹内の話を録音しておいて、文字起こししたものを、ひとたびバラバラにして時間系列から切り離したあと再構築する。それが塩野の流儀なのだ。
竹内に言わせれば警察の調書のようなものだというが、塩野は、まとめたもののゲラ刷りを竹内に渡して、間違いがないかどうしても公表して欲しくないものはないかを確認する。
竹内が14の8,000m峰登頂を達成するか否か分からない時期に、塩野はあえてこの本をつくることにした。14座登頂という目標を達成した人ではなく、ひとりの興味深い登山家としての竹内洋岳の話を聞きたかったからだ。
塩野米松は、薬師寺の再建をになった西岡常一など大工や職人、漁師などの聞き書きを多数書いているのだが、ぼくはこれまで読んだことがない。竹内が語る生い立ちや数々の登山の話、とりわけ、自分の身体と山を結ぶさまざまな登山用具とそれらに対する緻密で具体的な視点と評価や愛情のありかたは、職人たちが自身とつくるモノをつなぐ道具にかける思いに通じるものがある。
竹内は、酸素ボンベをつかわない、シェルパの力を借りない、大規模な登山隊を結成して最後に選ばれた数人が登頂するという方法(極地法というそうだ)をとらない、日本山岳会もやめた。しかしさまざまな道具の進歩を積極的に取り入れる・・・より断熱性の高く重量の軽いゴアテックス、衣服やザック、より強くしたがってより細く軽いロープ、位置と高さを正確に知るGPSはより早くより安全な登山を可能にする。リアルタイムでヒマラヤからさえ交信できるUAEの衛星電話(スラーヤという衛星電話のようだ)を駆使してより多くの人にリアルタイムで山を伝えようとする。山の仲間だった猪熊隆之による局地天気予報を信頼して山の行動の日時を決める。・・・8,000m級の山頂に達するとは何かということを僕たちが知る接点がさまざまにたくさんあることが分かる。
登山とはほとんど無縁であるぼくが図書館で借りて読んだあと、この厚い本を買って自分のそばに置いておきたいと思った。ヒトとモノそしてヤマに対する竹内の接し方に共感し、それらを繰り返し読みたいと思ったからだ。
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*竹内洋岳&猪熊隆之 ”登る人と予想する人、その長い友情と信頼を語る/VIVA ASOBISTvol.75:竹内が、猪熊に山岳の天気予報をするよう勧めたときのくだりをはじめ、ふたりのやりとりがじつにおもしろい。
*8000メートル峰/Wikipedia:800m峰の一覧表があってそこに死亡率の項目がある。1989年以前と1990年以降に分かれていて、最多は89年以前がナンガパルパットの77%、 90年以降でも最多のアンナプルナでは19.71%というのには驚かされる。
- 2013.03.30 Saturday
- ひと
- 09:02
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- by 玉井一匡