「君たちはどう生きるか」

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     おくればせながら「君たちはどう生きるか」を読んだ。

     はじめは なかなか物語に入り込めないのだが、やがて、車中で読みふけって電車を乗り過ごしてしまうほどに熱中して 2日あまりで読み終えた。

     

     宮崎駿が、もう長編はつくらないという宣言をひるがえした時には驚いた。

     もうつくらないと言って、しばらくするとつくりたくなるというのは、これまでにもあったことだが、「君たちはどう生きるか」と大上段に構える説教臭いタイトルに驚いたのだ。

     

     しかし、その原作が吉野源三郎のあの本で、すでに マガジンハウスから出ている漫画挿絵入りの小説は  いずれもベストセラーになったときいて 興味津々になった。

     岩波を代表する人物である吉野が書いたこの本の存在を知っていても、読もうとしたことすらなかった。

     

     やがて娘が買って来て読んでいたから、終わったら貸してくれることになっていたのに、どうも失くしたようで、だからといって買い直す気にはならないのも分かるから、プレゼントした。ぼくの魂胆は娘も分かっているから、先に読んでいいと言うので、ぼくが先に読むことにした。

     読みはじめに  ぼくが本の中に入り込めなかったのは、背景が古めかしいからだった。その半面で、背景の古さは、当然ながら時代の在りようを伝えるから、やがて一転して 面白くなった。

     

     主人公15才、旧制中学生のコペル君は、大きな銀行の重役だった父を2年前に亡くし、旧市内の大きな邸宅から郊外の小ぢんまりした家に母と引っ越した。父を亡くした母子家庭になって、召使いを減らしたとはいえ、女中とばあやもいる4人の生活になった・・・という具合なのだ。世の中に階級や身分が歴然と残されていている時代。刊行されたのは1937年、「盧溝橋事件」を起こした年である。

     

     「どう生きるか」を考えるには、同時に「世界とはどういうものか」「自分とは何か」を考えなければならない。前者が倫理であるとすれば、後者は哲学と科学だ。コペル君は、さまざまなことに知的好奇心や疑問を抱き、ときに困難にぶつかる。しかし、彼には それらをひろく展開して見せ 掘り下げ あるいは解決の糸口を示してくれる 信頼すべき大人がいる。母の弟である叔父だ。

     

     幼くして父を亡くした伊丹十三は、夭折した父・万作が息子のために「無法松の一生」を残したのだと信じていた。だからなのだろう、世の人々の小父さんたらんとして、 かつて伊丹は 雑誌「mononcle」を みずから責任編集して創刊した。この誌名は もちろん、ジャック・タチがつくった映画「ぼくのおじさん」の原題 に由来する。

     

     また、中沢新一は、彼の少年時代に、叔母が 当時はまだ若手の歴史研究者であった網野義彦と結婚して新しい叔父になった。新一少年は、おじさんから さまざまな影響を受けたことを「僕の叔父さん」に書いている。

     

     この本が世に出た頃、中国で続けていた戦争が のっぴきならない状態になり、それに端を発して 世界中を敵に回す戦争を始めるまで あと4年という深刻な時にある。にもかかわらず、 叔父さんが コペル君に話すとき 彼は人間が進歩するものだと信じている。

     

     いま、ぼくたちのいる世界と トランプや安部晋三を見ると、むしろ人間の進歩は終わろうとしていると感じてしまうのだが、もしかすると、時間の大きな長い流れとしては まだぼくたちは進歩の中にいて、いまは一時的な劣化のときにいるだけなのかもしれないと、この本は思わせる。

     

     マスメディアの伝えることが必ずしも真実でないし、政府が干渉していることを、もう ぼくたちは知っている。ネット上には、隠されていた事実を伝える情報とまことしやかなフェイクニュースが、あたかも同等の信頼性をもつかのように流れる。コペル君の時代にも増して現在は、真偽を見極めようとするしっかりした自己と、その構築に手を貸し 信ずるに足る「おじさん」が必要になっている。

     しかし、だれもが すぐれた叔父さんをもてるわけではない。宮崎駿おじさんは「きみたちはどう生きるか」というアニメーションを、信ずべきおじさんとして、より広くこどもたちに贈りたいと考えたのだろう。

     

     このままにしておくと ぼくたちの国は「どう死ぬか」を問う言説が支配するようになるかもしれない。宮崎駿が、これまでくり返して伝えてきたのは、どのような世界でも、生きることに価値がある、そして自分も世界は変えられる・・・ということだった。

     

     マガジンハウス版の巻頭には池上彰が序文を書いているが、岩波版の巻末には、解説に代えて、かつて「世界」の吉野源三郎追悼号に寄せられた丸山真男の文章が、自身の青春の悔恨について 意を決するように書かれている。丸山が少年のように告白しているのも 興味深い。


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