方尺の春

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     毎年3月3日に、ぼくは ばらちらしをつくる。

     つくると言っても、自分の手でつくるのは干し椎茸を甘辛く煮たり 海老や菜の花をゆでたり卵焼きを焼くことと、寿司酢をつくって飯に和えるくらいのものだ。

     

     あとはさまざまな魚介と野菜を買ってきて、出し汁や 酒と醤油とわさびにくぐらせて薄く味をつけ、寿司桶にひろげた酢飯の上に散らすだけのことだ。

    今年は娘が寿司飯をつくった。

     

     さして手をかける訳でないにもかかわらず、ぼくをすこぶる楽しい気分にしてくれるのは、春の野を切り取ってきて 木の筺の中に生けるように感じるからなのだ。

    そういえば、去年は 食べてから数日が過ぎて「方尺の春」だなと思ったのだが、今年も ひな祭りから数日たって、ぼくは去年の『方尺の春」という言葉を思い出した。

     「方寸」という言葉がある。一寸四方ということだから「方寸の土地」などといって僅かな土地であると謙遜するのは「猫の額」と同じように小ささを誇張した言い方だ。方丈と言えばたてよこ一丈つまり10尺四方の広さの住まいである。

     

     だとすれば、方尺という言葉があってもよさそうだが 聞いたことがないと思い ネットで調べると、 地名や人の苗字にあるようだし、棋士の二上達也が「銀が泣いている--方尺の盤上に展開する命の限界」という文章を書いているから、ここでは将棋盤の世界を方尺と言うのだろう。

     残念ながら、ぼくは この言葉の発明者にはなれないことが分かった。

     

     「方」に寸法をつけた言葉は 方寸であれ方丈であれ 小さいものという表現につかわれるようだ。しかし、いずれも 小さいが 小さいだけじゃないぞ、その中に無限の世界があるのだという自負が込められているところが、猫の額などという言い方より深く奥行きがある。

     

     だから、正方形の寿司桶の中に ばらちらしをつくると、一面に花や葉が顔を出した春の野の一部を切り取って、そっと木のはこにいれて連れてきたような気分になって、しみじみと愉しい。その愉しさには、ひなまつりが女の子のお祭りであることが、少なからず影響しているにちがいない。

     

     おいおい、春の野に 鮭や帆立貝、鯛、鰺などの生ものや海の穴子がいるのか、などと言われそうだが、食べ物なのだから旨いことが まず大事だ、そもそも日本の大地は大昔は海の底だったところが多いのだ。茹でた菜の花やアボカドや卵焼きを透かして、その下に魚たちが見え隠れするようにしたことで、佐保姫アフロディーテには赦してもらうことにしよう。

     

    そういえば、最後に貝割れ大根を散らすのを忘れていた。

    それを理由に、もういちどつくろうかな。

     


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