「この人から受け継ぐもの」を図書館で借りたけれど、買うことにした。

0
    「この人から受け継ぐもの」井上ひさし/岩波書店

     この本のことをaki's STOCKTAKINGで知って、さっそく図書館に予約して読んだ。
    この時代に、なんと惜しい人をぼくたちは奪われたかと、また嘆かずにいられない。

     先週の金曜日にギンレイホールで見た「駆け込み女と駆出し男」という映画は、江戸時代の駆け込み寺を舞台にした物語だが、これが たまたま 井上ひさしの「東慶寺花だより」を原作としている。 男からは勝手に妻を離縁できるが  女から離婚を求めることの出来なかった時代に、わけあって離縁したい女が 駆け込み寺の山門に駆け込んで 寺の修行を2年続けると 離縁できる。男は、その間手を出すことが出来ない・・・不十分とはいえ 女の権利を保障していた。つまり、封建制下の江戸時代でさえ、外界から切り離され独立した自治共同体であるアジールとして認められる寺があったのだ。

     「東慶寺花だより」というタイトルを一見すると のどかな日常を描写する物語のようだが、かならずしもそうではない。ぼくは映画を見たが小説はまだ読んでいないから、ディテールのニュアンは違うだろうが、小説も骨格は変わらないだろう。
     この物語を、「吉里吉里人」「ひょっこりひょうたん島」「ボローニア紀行」などと並べてみると気づくのは、井上ひさしが、自立する小さな国 やコミュニティを終生にわたって考え続けた、あるいは独立する小さな国をつくることによって国家のありようを考え続けた人であるということだ。

     
    「この人から受け継ぐもの」が出版されたのは 井上ひさしが亡くなった2010年の12月で、これには編者の名も序文も解説も書かれていない。5つの章で構成されるが、一連の文章として書かれたものではない。1〜3章は それぞれ2009年、1989年、2001年に行われた講演、4章は2004年の新聞、5章は岩波の「図書」で2002年に連載されたものだ。

     そういうものを一冊の本として刊行されたのが死後まもない頃であれば、誰がどういう意図でこの内容で集たのかを解説するのがふつうだろう。それが一切ないとすれば、この構成は生前の井上自身によってなされたものだが、さりとて遺言という形式にすればイデオロギーになることを、井上は嫌っただろう。頭の上から降りてくるイデオロギーによってではなく、自らの立つ大地、みずからの生きる時代、自らの隣人とのかかわりをもとに生きることを、井上は目指していたはずだ。
     そこで、遺す人が主体になる遺言や遺産ではなく、受けとった側を主体とする「受け継ぐもの」にしたのだろう。「東慶寺花だより」も死後に刊行された遺作であることを考えれば、これにも同じ思いが托されているだろう。

    1 憲法は政府への命令――吉野作造を読み返す
    2 ユートピアを求めて――宮沢賢治の歩んだ道
    3 戦争責任ということ――丸山眞男に私淑して
    4 笑劇・喜劇という方法―私のチェーホフ
    5 笑いについて

     第1章に憲法を置いているのだが、注目すべきは、ここで吉野作造を通じて ぼくたちに示されるのが、日本国憲法ではなく帝国憲法であることだ。
    天皇が主権者として統治するという国家の形式に民意を反映するため 議会があり、国家の枠組みを示すために帝国憲法があるという形式の限界の中で、吉野作造は民本主義と言いかえはしたものの民主主義を唱えた。それによって大正デモクラシーが芽生えた一時期があり、日本人の中に国民主権の意識がひろがっていたことが、戦後の憲法を受け容れる下地になったと井上は評価している。
     日本国憲法を肯定的に評価する立場の多くは、アメリカから示される前に 日本人によって数々の試案がつくられており、アメリカの試案は 単に押しつけられたものではないとする。しかし井上はこれに加えて、国民主権を日本人が認知するには 吉野作造と大正デモクラシーの果たした役割を重視しているのだ。そして、帝国憲法について考えることで、日本国憲法について考えてもらいたいと思ったのだろう。

     戯曲作者らしく、この5つの章で井上は人間のことばと行動によって語らせている。吉野作造、宮沢賢治、丸山真男、チェーホフ、最後の第五章では舞台のフィナーレよろしく、ジョン・ウェルズというぼくたちに馴染みのない人物とアリストテレスとルイ16世、最後にはチェーホフもイプセンもシェークスピアも登壇する。
    ジョン・ウェルズがかつて「ウィルソン首相夫人の日記」で人気を拍したのにならい、新聞に掲載された首相の動静をもとに井上が書いた「森首相夫人の日記」には爆笑せずにいられない。
     
     演劇というものは、人間の住む世界に何らかの条件を与えて それによって生じる人々の振るまいと それが生じさせる様々な波紋を描くものだ。戯曲作家だった井上ひさしが憲法について多く発言したのは、憲法を 国家という芝居小屋で演じられる演劇のための戯曲のもとをなす条件と考えていたからだろう。
    槇文彦が国立競技場の計画について異議を申し立てたのも、コンペの主催者によって示されたプログラム、つまり条件が間違っているという指摘だったことを、ぼくは思い出す。

    そばに置いて ときどきメモを書きこんだり、誰かに貸してあげたりすることになりそうだから・・・・akiさんと同じく、結局は この本を買いました。

    ■関連エントリー
    井上ひさし展:6月9日まで 神奈川近代美術館   /MyPlace2
    明治神宮と大正デモクラシー、そして 国立競技場  /MyPlace2


    コメント
    コメントする








       
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック

    calendar

    S M T W T F S
      12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    2728293031  
    << August 2017 >>

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    • IWJがおもしろい
      Tosi (07/01)
    • 「卵をめぐる祖父の戦争」と「25時」: さしせまる時間 と 閉ざされた場所
      玉井一匡 (08/17)
    • 「卵をめぐる祖父の戦争」と「25時」: さしせまる時間 と 閉ざされた場所
      秋山東一 (08/17)
    • エドワード・スノーデンの勇気
      Tosi (08/13)
    • 映画「NO」:選挙で 独裁者ピノチェトを退陣させた'88年のチリ市民
      玉井一匡 (01/26)
    • 映画「NO」:選挙で 独裁者ピノチェトを退陣させた'88年のチリ市民
      AsianEmi (01/26)
    • 「崖っぷち国家日本の決断」
      Tosi (12/22)
    • サムライとヤクザ:ゴッド ファーザー +
      玉井一匡 (12/02)
    • サムライとヤクザ:ゴッド ファーザー +
      玉井一匡 (10/12)
    • サムライとヤクザ:ゴッド ファーザー +
      kawa (10/10)

    recent trackback

    recommend

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM