ハーレムの闘う本屋 ルイス・ミショーの生涯

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    「ハーレムの闘う本屋 ルイス・ミショーの生涯 」/ヴォーンダ・ミショー・ネルソン著/あすなろ書房 
     
     この3つ前にエントリーした「かもめブックス:本屋は大きくなくてもいい」に友人の加嶋裕吾さんのコメントがあって「ハーレムの闘う本屋という本がとても面白かった」と書かれていた。

     数日後ぼくは、かもめブックスに行ってカウンターの店員にiPhoneで表紙の写真を見せて「ハーレムの闘う本屋 という本はありますか?」と訊ねた。
     彼はうなづいて店の中央にある本棚の下段から大判のハードカバーをとり出した。もし、なかったら・・きっとこの店にふさわしい本だよ・・と言うつもりだった。
    表紙のデザインが晶文社の本みたいな感じだ。晶文社の本の装丁は、大部分が平野甲賀の手になるものだが、彼はこの近くに住んでいた。

     さて、この本屋の「闘う」相手はなにものか・・・場所はハーレムだから黒人の店であり、だとすれば敵は白人、いや白人の支配と差別だ。
    公民権法などまだ遠い未来だったころ、黒人は学校さえろくに行かなかっただろうし、本を読むことなんて滅多にない1930年代にニューヨークのハーレムで本屋を開き、やがてそこを黒人の文化と権利獲得の拠りどころに育てていったルイス・ミショーという人の生涯を描いたものだ。
     ドキュメンタリーノヴェルというのか 、ルイスを知る人へのインタビュー、マルコムXなど店にゆかりの人々の写真、FBIが危険人物とみたルイスについての身辺調査記録などを年代順に並べ、ところどころ余白があるからなおさらだが スクラップブックのようで、とてもいい感じだ。

     この本には、著者の視点を示すべき地の文がない。それがむしろ読者の想像力をうながして、ぼくは本を読みながらいつにもましてインターネットやGoogleマップを開いて世界を拡げてゆく。 
     著者は主人公ルイス・ミショーの弟ノリスの孫で、図書館勤務のかたわら15年の時をかけて書きあげた。文末の覚え書きと謝辞でやっと現れる彼女自身のことばによれば、すべてがインタビューや印刷物など資料にもとづいているけれど、さまざまな記録に食い違いが少なくないので、それをまとめるのが難しかったし、食い違いは本筋にとっては些細なことだと考えてスクラップブックのような形式にして、いくつかのエピソードをまとめるために架空の人物もつくりだした。
     ルイス・ミショーが1939年に44歳で本屋をはじめたとき、手持ちの本はわずか5冊だったという。はじめから、彼が売ろうとしていたのは書籍という商品ではなく、大げさに言えば「こころざし」というようなものだったに違いない。
     店の名前は「ナショナル・メモリアル・ アフリカン・ブックストア」というんだから「アフリカ国民 記念書店」とでも訳せばいいだろうか、個人の書店らしからぬ名だ。そこは宣教師である兄の事務所だったところを借りての出発だったので、それまで教会の組織につけられた名称の一部を継承したからだ。父は商人だったが、10歳以上も年長の兄ライトフット・ミショーは若くして黒人のキリスト教会派をつくり、弟が本屋をはじめた当時すでに大きな社会的影響力をもっていた。兄はルイスにも布教を手伝わせるが、弟は兄の穏健な姿勢にあきたらず、教会を離れて本屋を開いたのだった。
     ルイスが少年のころ、ぼくたちが思い描くハーレム育ちの黒人らしく警察や監獄のやっかいになった。逮捕されたときに警棒でたたかれて
    片目を失い義眼になった。そういう弟だが、人間としてたいせつなものを持っていると、兄は信じ続けてくれていたのだ。

     ところで,開店した1939年とはどんな年だったのか、wikipediaを見ると第二次大戦の悲惨な時代への扉を開くたいへんな年だったことがわかる。ヨーロッパではスペイン内戦でフランコの反乱軍がバルセロナ、マドリードを陥落させ、ドイツはソ連と不可侵条約を結びポーランドを侵攻し第二次大戦勃発。それより前にアジアでは関東軍が暴走してソ連領に喧嘩を売るように侵入して、こちらから戦争をはじめながら壊滅させられた「ノモンハン事件」を起こす。日本をたたきつぶして東の備えを固めたスターリンはドイツと不可侵条約を結びポーランドを山分けしたのだ。1939年は、こうして世界が破壊への道に大きく踏み出したときだった。現在の日本政府も、喧嘩っ早い「同盟国」の手下になって他人の喧嘩を買って出られるようになりたいらしい・・・困ったことに、大日本帝国の時代から喧嘩が好きなのだ。

     アメリカ合衆国にもどろう、そこでは、大恐慌の余波がまだおさまらない中、アル・カポネが釈放され、「オズの魔法つかい」の映画が公開された。アメリカには、不安もあっただろうが、直接の戦争で破壊される心配はないから、大西洋の対岸の戦争に、経済界は景気回復への期待を抱いただろうし、ヨーロッパからは多くのユダヤ系や革新的な思想家や科学者らが渡って来る。文化と自由と希望も彼らは持ち込んできたはずだ。ルイスが、このころハーレムに本屋を開店したのも、世の中が動きそうな
    そういう気配と無関係ではなかっただろう。

     黒人たちの祖先はアフリカ大陸で野生動物のようにして捕らえられ、物資のように船で運ばれ、多くのひとたちが海上で死んだ。生きのびて新大陸に行っても 家畜さながらに競りにかけられ こき使われた。アフリカ人としての歴史は消し去られ、アイデンティティを失った。キリスト教の神を信じ教えを守るだけではなく、自分たちの歴史を知り自分たちが何ものであるかを知らなければ、白人の支配から自由になることはできないと考えていたルイスは、兄の導くキリスト教に素直に従うだけではいられなかったのだ。

     ハーレムの7番街で開店したとき5冊だったという本の在庫は、ニューヨーク州の施設をつくるために移転を求められ1968年に同じ7番街の125丁目に移転したときの棚卸しでは、22万5000冊になっていた。兄がキリスト教を広めたように、その30年をかけてルイスは歴史や世界のことを知りたいという欲求、本を読むという習慣をハーレムに育てた。
    この店は、本を売買するだけでない。店頭で 入ろうかと迷う子供がいれば、ルイスは声をかけて、自由に本を読ませてやり、ときにはいくつかの本を渡して、うちに持っていって読んでごらんと言った。

     ルイス自身がこの店を"House of Common Sense and the Home of Proper Propaganda"と呼んだのは黒人の文化・歴史の共有と連帯を呼びかける拠点にしようとしていたからだろう。
     マルコムXラングストン・ヒューズなど,黒人の政治や文学の指導者たちも調べものをしたりくつろいだりするために、ときに人々に行動をよびかけるためにここを訪れた。
     
    店の前では、マルコムXをはじめとする人々が道行く人に演説し、公民権運動の拠点のひとつとなった。

     数年前から、NGO エファジャパンが、ラオスの郊外の たいていは学校の中にコミュニティ図書館という小さな図書館をつくっているのだが、完成した図書館の調査に行ったとき、そこを運営する校長先生や利用するこどもたちに
    エファの職員がインタビューをした。その中に いかにも賢そうな少年がひとりいて、毎日のように図書館に来ているんだと言った 

    「図書館ができるまでは、どんなことをして遊んでいたの?」と訊かれると
    「森に行って、木の実なんかを取ったりしていました」と少年は答えた。
     そういう少年が図書館に毎日来てくれるようになったというのは、とてもすてきなことだと思ったけれど、森の中に木の実をとりに行くというのも、本を読むことと同じくらい素敵なことだし、むしろそれがあるからこそ、図書館にきてくれるということに価値があるのだ。だから、森に行って食べられる実をさがすこともやめないで欲しいとぼくたちは思った。本の中の世界が、そのまわりの森とひとつにつながっているのがいいんだから。

     かつて、ルイス・ミショーの店で黒人の若者たちの出会った本が、彼らの生きる世界に自由をもたらした。
    いま日本では、インターネットによって若者たちが政治のありようを知って、それをなんとかしないと大変なことになると思い、立ち上がった。ぼくたちが持っているものがどれほど大切なものであったのかを気づいたのだ。そして、愚かな政府の愚かな振る舞いをやめさせようとして首相官邸や国会議事堂の前に集まるようになった。
     本は、インターネットが伝えるもの つくるものとは別の、ある大切ななにものかをつくり育てる力があるとぼくは思う。だとすれば、ハーレムの本屋のように、本屋が、我々の世界を もっと自由でもっと気持ちのよいものにするための拠り所のひとつになるかもしれないと ぼくは夢想しているから、インターネットでは本を検索するだけにして、できるだけ身近な本屋で本を買って応援しようと思うのだ。

    ■関連サイト
    Lewis H. Michaux/Wikipedia
    著者ヴォーンダ・ミショー・ネルソンのインタビュー
     Mother to Son /ラングストン・ヒューズ:この本の原題"No Crystal Stair"(水晶の階段なんかありはしなかったけれど)は、この詩からとったものだ。

    コメント
    *返信コメント3つ目:ラオスの開発
     ラオスはこのところ毎年10%の経済成長をとげていると新聞にも書かれていました。中国資本を始め外国資本が投じられているのでしょう。
     この写真のスーパーマーケットの工事をしているのを見たことがあります。先進国から来た人間の勝手な見方ですが、テントを張った粗末な店のならぶ市場を満たしていた活気がなくなるのかと残念に思いました。
     とはいうものの、新しくなろうとも、あの活気はなくならないだろうと気を取り直したものです。しかし、家賃が上がれば新しいところには店を出せなくなる人たちもたくさんいて、カエルやコオロギを売る店はなくなるんでしょうね。
    *返信コメント ひとつめ:本屋のこと
     われわれは、インターネットによって、知的好奇心に応えてくれるさまざまな方法を知り、使うようになりました・・・ウェブサイト、E-mail、ブログ、Facebook、FaceTime、Skype、LINE、Twitter、Mixi、YouTube、デジタル本 書き出してみると、いまさらながら驚くほどの種類があることに驚きます。
     これからも、新しいメディアが出てくることでしょう。しかし、ときの権力にとって都合の悪いものは、現に消されていきます。あるいはこっそり改竄されてしまうでしょう。ネット上の意見の発言は、気軽に書いてすぐに伝えることができるという長所の反面で不確かで実体がないように感じられます。

     その不確かさは、アフリカから連れてこられ奴隷として使われた黒人たちが、自分たちの歴史とアイデンティティを失ってしまった状態と、通じるものがあるのkあもしれません
     人間の、形のない思いや事実を、本という実体のあるもとして残しておけば、容易には消去することができないことにぼくたちは信頼をおくことができるのだろうと思うのです。DVDよりマイクロフィルム、ハードディスクの映画よりフィルム、CDよりレコード盤といわれるようになっていますね。

     悠合カフェは、広義にいえば本屋かもしれない。それに加えて、別に大企業が運営する大きな本屋があるというのはいいですね・・・じかにそこで利益をあげることはできなくとも、誰でも出入りできて、そこにある本が欲しければ買うこともできる大図書館のような古本屋のような、カフェのような。
    伊那というところは、そういうのびのびとした知的空間があるに相応しいところですね。

    *ふたつ目:ビエンチャン図書館とその後の活動
     ビエンチャン図書館をつくったあと、エファジャパンは、ラオスの図書館普及活動の支援をするのと並行して、コミュニティ図書館という小規模な図書館を各地につくるようになっています。中村さんは、彼女のご家族などの支援を集め、それをいかして数々のコミュニティ図書館をつくることに尽力されました。数年前にエファジャパンを退職なさいましたが、その仕事ぶりは、工事をした建設会社の人は「タフな相手だった」と彼女を評するほどでした。彼女のつくった道筋はいまも残されています。
    再追伸 ビエンチャンの近代化のレポートがあります。道ばたの大規模マーケットがビルに変わったようです。カエルの唐揚げを食べた店や小さな店も姿を消したようです
    http://diamond.jp/articles/-/69562?page=2
    • 加嶋裕吾
    • 2015/08/25 9:06 AM
    追伸 ラオスの図書館のその後はいかがですが。エファジャパンの中村さんやその他の方々、それからこうろぎを食べたことや、地元の飲み屋でお酒を飲んだこと思い起こされます。
    • 加嶋裕吾
    • 2015/08/24 9:34 PM
    玉井さん 本はインターネットが伝えるもの、つくるものとは別の、ある大切なものをつくり育てる力があるとぼくは思う。だとすれば、ハーレムの本屋のように、本屋が、我々の世界を もっと自由でもっと気持ちのよいものにするための拠り所のひとつになるかもしれないと、ぼくは夢想して 本はできるだけ本屋で本を買って応援しようと思うのだ。ということに同感します。一方で、田舎はこの点悲惨な状態です。取次に支配された出版界は田舎の小書店は切り捨ててしまって久しいです。すなわち田舎の子供達には本に触れられるような書店が無いということです。コレは以前にも言ったかと思います。大企業の集まりある日経連がが年間田舎の子供達のために100億ぐらい寄付して赤字であろうが、都市と同じ大型書店をもうけるべきだとも思っています。すなわち田舎の子供達は将来の企業の働き手なのですから。この運動はもう2十年ぐらいとなえていますがなかなか理解されません。近い将来にこの伊那谷のある大企業のワンマン社長に談判に行きたいと思っています。ルイスミショーの幸運な偶然による書店の開店とその運営の忍耐、その後に産まれたマルコムXやその他の教養人との深い付き合いを良き時代として感じるとともに僕たちの若い人々にこの交歓を知ってほしいと思います。












    しょて
    • 加嶋裕吾
    • 2015/08/24 9:28 PM
    朝日新聞デジタルの記事は初めて読みました。イワトと水牛関係のツィートをフォローしていたので小豆島に移住の事はそれで知りました。演劇関係のニュースサイトではテナント契約が切れてと書いてありましたが、理由は建設業界の伝家の宝刀「耐震不足」でしたか。
    • iGa
    • 2015/08/15 11:25 PM
    iGaさん
    書きかけでまちがってアップしちゃいました。
    なんだか、なかなか書き終わらなくてやっと今日になってアップしました。
     朝日新聞デジタルを読みましたか?耐震不足で、黒テントのために建てたビルが取り壊しになったとか、書いてありますね。
    http://www.asahi.com/articles/ASH6J52KWH6JPTFC00S.html
    http://www.studio-iwato.com/studio/
    そんなことを言ったら、ギンレイ会館なんてものも解体されそうです。
    昨年だと思いますが平野甲賀のスタジオイワトは小豆島に移住してそちらで活動しているようです。
    • iGa
    • 2015/08/03 10:39 AM
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