「死都日本」は希望の書

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    「死都日本」/石黒耀/講談社文庫

      口之永良部島浅間山箱根御嶽山の噴火、小笠原の地震と続けざまに火山の活動が活発になるので、これからどんなことが起こるのだろうかと、4年前に読んだ本をもう一度読んだ。2011年のはじめ、新燃岳がさかんに活動していた頃に友人に勧められて読むと、ほどなく東北の地震があった。

     この物語は、死火山とされていた巨大火山(現在の加久藤盆地)の破局的噴火を描いたものだが、題名から思い浮かべる死や滅亡の物語よりも、むしろ死と再生の物語だ。
     2003年に世に出た小説でありながら、8年後の東北の大地震とその前後を予見していて、さまざまな描写にもストーリーにも破綻なく、ドキドキしながら一気に読破させられることを考えれば もっと広く読まれるべき本だ。にもかかわらず、あまり知られていないのは不自然に感じるほどだ。マスメディアは土地価格の低下などの影響に配慮しているのだろう。いいかえれば、それほどにリアリティのある物語だということだ。

     ・・・戦後長年にわたる官僚と保守政党は、一党支配によって内需を拡大するための対策として公共事業を増やしつづけて莫大な財政赤字をつみあげ、自然をこわし、私腹をこやした。それに我慢ならなくなった国民は、選挙で野党に劇的な勝利を収めさせた。新政権がさまざまな改革を進めているときに大噴火がおきる。
     物語はミクロとマクロのふたつの視点を並行させて描かれる。ミクロはひとりの男、宮崎の大学で火山を専門とする防災工学の若手研究者、マクロは国家、首相を長とするチームだ。ミクロの世界を突き詰めた先に地球と未来というマクロ世界につながるのだ。その首相が名を菅原というのも、いまでは過去になった現実を思い出させる。噴火した山から流れる川の河口にある川内原発も火砕流に襲われる。

     東西の神話には火山の噴火を人格化して記述されているというのが防災学者・黒木の持論である。ギリシャ神話、旧約聖書、ヨハネ黙示録そして古事記の国つくり神話の記述は火山の噴火を示すところがあるという解釈にはどれも説得力がある。黒木は、人間の集合にとっては噴火に恐怖を感じながら、研究者としては噴火を間近にして興奮を隠せない。僕たち読者も恐怖をいだきながら、川の水かさが増し風が吹き荒れる台風にひそかに胸をときめかせていた子供のように、日常から逸脱して目にする自然の変化に目を瞠るのだ。

     現在のぼくたちの国を見れば、今の政府は自分たちが主導して推進した原発の事故で、あれほど住民を痛めつけ土地と海を汚染しながら、エネルギー政策も転換することなく被害者をおきざりにして、詐欺のようなごまかしで原発を再稼働する。首相は放射性物質の排水の処理が完全だと噓を言い放ってオリンピックを招致する。1000兆円の財政赤字を放置したまま3000億にもなろうという欠陥競技場の工事に税金を注ぎ込む。憲法違反だと大多数の憲法学者が指摘する法を強引に制定して集団的自衛権を認めさせる。地元の反対に耳を貸さず、国土の0.6%にすぎない島に74%の米軍基地を押しつけ続ける。
     首相と同じ世襲三代目の副首相は国立競技場の工事費の膨張を「民主党政府が決めたことだからよく分からないよ」と平気な顔。

     この政府は、地震と原発ではもの足りないと神が遣わした 災害なのではないか。
    たしかに、天災や事故に襲われた時に、よその国の人々は泣き叫び悲しみと怒りを露わにするけれど日本人は穏やかに受け容れる。日本ではつぎつぎに襲ってくる天災は抗いようのない力だから叫びも泣きもせず、再建に向かおうとするのだ。それが身に染みついた我々は「政治は天災の一種」だと思うようになった。政治が何かいいことをしてくることなどあり得ないのだと。
     彼らは独裁者のように振舞うが、いま我々の国の制度は独裁ではなく国民に主権がある。彼らは、まず独裁者としてふるまい憲法を無視して制度を変え、そのあとで制度も独裁制にしようとしているのだろう。

     「死都日本」では、黒木の思想をもとに、一万年に一度という壊滅的な災害に
    政府が立ち向かう。
    政府が意図的に災害の一種になろうとしているなら、それを災害として受け容れることなく、彼らに立ち向かわなければならないのだ。災害に立ち向かうのはむずかしいが、この相手はたかが人間だ。現在ぼくたちの持っている制度では、彼らは国民の意思にしたがう法的な義務があることを、ぼくはけっして忘れない。

    *追記1 「死都日本」シンポジウム
     この本の著者石黒耀は火山に深い興味を持つが宮崎医科大学出身の医師で、火山の被害を受ける町に住んでいたこともあるが、火山の専門家ではない。しかし、火山と噴火についての記述には間違ったところはなく、専門家すら我を忘れて読みふけるほどのものであると、この小説をもとに開かれたシンポジウムで専門の研究者が発言している。文末のリンクから入って一読してください。

    *追記2 プルトニウム:24,000年で1/2、破局的噴火:10,000年に1回
     これほどの噴火は1万年に1回という極めて低い確率だが、誕生以来何十億年という地球にとっては日常的な活動にすぎない。だからといって、これほどの災害に具体的に備えるべきだというのは現実的ではないだろう。しかし、2つ考えておくことがある。
    ひとつは、現在の地球はこういうことが明日にでも起きるかもしれない時期にあるということ。もうひとつは、原子炉の廃棄物に含まれるプルトニウム239の半減期が24,000年であることだ。
     つまり、確率で言えば、プルトニウムの放射線量が1/2になるまでに、こんな規模の噴火が2.4回起きるということだ。10万年後に害が少なくなると言われるのは1/2の4乗、つまり1/16になるということだ。それまでに10回も、こんな噴火が起きるのだ。いまの世界の状況を見れば、それまで人類が生存していることはないかもしれない。しかし、少なくとも日本では原発をすぐにやめるべきだと実感せずにいられない。
     
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    コメント
    黒木さん
     ぜひ読んでみてください。実によくできている小説だと思います。災害を描いているので、面白いと言うわけにはいかないけれど、時間があれば、一気に読んでしまうでしょう。まして主人公が黒木というんだから。
     
     こういう規模の噴火が起きるのは一万年に一度くらいの頻度だそうです。しかし日本のようなところでは、いつかは必ずおきるし、それが今日かもしれないのだから、原発のようなものはやめるべきだと思うのです。
    さっそく購入して読んでみます。ありがとう。
    内容は分りませんが、玉井さんのブログから推測すると、今起きていることと似たような社会のありようが描写されているのですかね。本が届くのを楽しみにしています。
    • 黒木 実
    • 2015/07/12 1:56 AM
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