かもめブックス:本屋は大きくなくてもいい

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     数ヶ月前、神楽坂を登り切ったあたりに「かもめブックス」という本屋ができた。まえにも本屋が入っていた古いビルの1階を改装して新しい経営ですっかり生まれ変わったのだ。

     道路に面したところにはカフェ、奥に小さなギャラリーがあるし、文房具もすこし置いてある。壁面を本棚が埋め尽くしているわけではなくて、本棚と柱の間には隙間もある。気候のいい日には道路にむかって店を開け放っている。店の外には、板張りの床の一画を塀で囲んだ喫煙コーナーがある。
     もともと決して大きな店ではないうえに、ほかのもののために場所を割いているのだから本の売り場も本の点数も大分すくなくなっているはずなのだが、ぼくには本が少ないとは感じられなかった。

     本が好きだといっても、読みたいものは、世の中にあるもののうちの ごく一部にすぎないのだから、本屋にさほど広い床面積は必要はないのだ。
    インターネットから莫大な情報をいつでも取り出せるようになったいま、 ぼくたちが書店に求めるものは、情報の量でも本の数でも床面積でもない。好きな本をきもちよく開いて見て、気に入ったら連れて帰ることのできる場所なのだ。

     たとえば上野の駅ナカに大きな本屋があるけれど、ぼくは いささかも知的好奇心をそそられることがない。なにしろ入口まわりには嫌中嫌韓ものを集めたコーナーを設け、売れるものであればどんな卑しい気持ちでつくられたものであろうと、人目を惹くところに置こうというのだ。こんな店では決して買わない、店に入ることさえしない。無駄な情報と罵倒に満ちた2チャンネルを店にしたような代物だ。
     Amazonが登場した頃には、インターネットで探して世界中の本が手に入ることがうれしかったが、あちらこちらで書店がなくなってゆくのを見ているうちに、ぼくは本を買うのははまちの書店にして、Amazonはもっぱら検索につかうようになった。行きつけの本屋に置いてなければ取り寄せてもらえばいい。いま僕には、かもめブックスが行きつけの本屋になった。

     初めて店に行ったときに楽しい本屋だと思った。しかし、あとになって考えてみると店の大きさのわりに店員の数が多すぎるように感じられたし、通りに面した外壁の両端に新潮文庫と週刊新潮の持ち出し看板が、おそらく以前の店のものがそのまま残されているところをみると、このすぐ近くに新潮社があるから、街の本屋を装いながら新潮社が経営するのかもしれないと気になった。(写真をクリックすると、看板を含めて店の全体が見られます)

     いい店だと思った飲食店が、じつは背後にチェーン組織があってがっかりするようなことなのかと気になって かもめブックスのウェブサイトを調べてみると、校正・校閲を専門とする鴎来堂(おうらいどう)という会社が、社長自身の思いをこめてつくった本屋なのだという。鴎がやってくるなんていう思いがけない会社名の由来も、本にゆかりの俳句「
    かもめ来よ天金の書をひらくたび」(三橋敏雄からきているのだと、ウェブサイトに書かれている。
     ああ、本を大好きな人が自分の好きな本を集めてはじめた本屋なのだ。買った本をテーブルの上で拡げて柔らかな日を浴びつつ本とコーヒーを楽しみたいと思ったのだろう。

     店のカウンターに、脚本家 野沢尚の書いた「恋愛時代」という小説の文庫本が平積みされていた。そのころこれがテレビドラマとして放映され主人公が本屋で働いていた。たまたま身近にこのドラマの関係者がいたので この店のことを話すと、じつはドラマの本屋のシーンは、この店で撮影したのだという偶然におどろいた。しかし、人物もそうだったが、ドラマのシーンよりも実物の店の方がずっと魅力的できもちがいい。歩道に接する店の開放感や、置かれている本の選びかた、古いビルに残された細身のスティールサッシなどを画面で感じとらせるのは難しかったのだろう。

     ことは本屋だけではない。何であれ、大きければ大きいほど、多ければ多いほどいいという安直な価値基準は数ある評価方法の一部にすぎないのに、そういうわかりやすい価値基準を信じることが世の中を悪くしてきた。・・・「金は沢山あればあるほどいい」「国土は広いほどいい」「企業は大きいほどいい」「市場占有率は大きいほどいい」「競技場は大きいほどいい」「戦艦や大砲は大きいほどといい」・・・そういう物差しが多くの人間のいのちを奪い文化を劣化させてきたのだが、いまだに とりわけ我らの国では、それが終わる気配がない。


    ■関連リンク

    コメント
    裕吾さん
    ごぶさたしています。コメントありがとうございました。
    「ハーレムの闘う本屋 ルイス・ミショーの生涯」について、ぼくはまったく知らなかったので、この本について書かれているブログやAmazonの紹介記事やレビューなどを読みました。
    明日さっそく、かもめブックスに行って探します。かもめブックスは、こういう本を置く本屋であってほしいと思いますから、あればもちろん買ってくるし、なければ注文します。

     これほどの本屋ができるまでには、黒人の悲惨な歴史の積み重ねがあり、読み手の切実な要望や知的な飢餓感があったことはいうまでもないでしょうが、何が起こったのか、たのしみです。
    そして、いまはなくなってしまったようですが、それはなぜだったのか。

    「かもめブックス」は、読み終わった本を置いておく棚があって、やはり読み終わった本を持ってきた人が交換できるというのをつくっています。古本屋と書店の併設は制度上むずしいのでかんがえたしくみかもしれなせんが、そんな仕掛けやカフェが連動して、本だけでなく人間のつながりが拡がってゆき、まちも変えてゆくかもしれないと楽しみです。

    ところで、別件について、近日中に電話さしあげます。
    玉井さん お久しぶりです。良い本屋さんに出会うのは無類の喜びですね。一方、そんな本屋さん(大変な努力で、あの膨大な本の中から品選びをしているにもかかわらず)で自分の好みや主張と違う部分を見つけて、文句を一人言うなどということも、お客の勝手なところですね。鳥取の定有堂、福岡のブックスキューブリックなど良い店が各地にあるのは嬉しい限りです。かってのジュンク堂もそのような大規模な独自性のある店でした。
    さて、最近読んだ本でハーレムの闘う本屋 ルイスミショーの生涯という本があります。黒人専門の本屋を作り上げた人でマルコムエXも良く奥の机に座っていた様子が書かれています。有名な聖職者を兄に持ちながら本人はどうしようもない男と思われていたものが、偶然にもハーレムで黒人の書いた本を売り始め、やがて人々から教授と呼ばれるようになる。独立心と権力に対する反抗心は先に亡くなった鶴見俊介の時代と同じものを思い起こさせます。
     
    • 加嶋裕吾
    • 2015/07/27 9:22 AM
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