「青春の柳宗悦」

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     しばらく前から、「夕刊フジ」の一面には韓国や中国に対する否定的な あるいは挑発的な記事が毎日のようにトップ記事として掲載されている。その頻度と取り上げる姿勢はマスメディアとして正気とは思えないほどなので、駅の売店に並べられた新聞の大きな文字を目にすると、ぼくはいつも腹立たしく情けない思いを抑えきれない。

     それが大部分の人が見向きもしない極端なナショナリズムの新聞とされているなら、我々の社会は、さまざまな意見を許容するほど自由であることの証しとでも思うが、首都圏のかなり多くの人々が仕事帰りに読む新聞だから、これにはむしろ自由の危機を感じるのだ。

     しかし、日本が現在よりもはるかに強くナショナリズムにつき動かされ隣国を併合し戦争をつづけていた時代にありながら、柳宗悦は朝鮮の美術・工芸の価値をひろく理解させようとして、日本で朝鮮であらゆる手をつくした。この本の副題が「失われようとする光化門のために」であるのは、当時の日本が朝鮮総督府の庁舎を王宮前につくり王宮の正門である光化門を取り壊そうと計画していたのを、柳が論陣を張って押しとどめたことを指している。
     柳宗悦という人を、これまでぼくはよく理解していなかったと、この本で知った。
    彼は、連綿と受け継がれ日常に使われてきた器をはじめとする民具と それをつくる技術の価値を正当に評価しその後ろ盾になった。「民藝」ということばをつくり、つまり民藝という概念をつくり、日本民藝館をつくった。しかし柳は、そういう視点を自分のくにばかりでなく、日本が武器をもって戦っている国や政治的軍事的に支配する国の文化に対しても、相手国の人間からみた視点で価値を見つけたのだ。

     美術品の目利きと言われる人がいる。ひとが目も向けない美術品の価値を見抜く人、あるいは新たな視点で価値をつくりだす人だ。そういう人の多くは、新たな価値をつくりだしたのだから当然かもしれないが、それを自分のものにしたがる。しかし、柳はそこにとどまろうとしない。
     朝鮮で教師をしていた浅川伯教が土産として持参した器(この本の表紙の写真)に瞠目し、彼と弟の巧に案内されて朝鮮を旅すると、それまで知らずにいた朝鮮の美術工藝にさらに激しく動かされる。1916年のことだ。朝鮮人自身がその美術工芸と文化の価値を自覚して誇りをとりもどすことに役立てようとして、当時は骨董商たちの評価が低かった李朝の美術工芸品を中心に蒐集しながら、日本と朝鮮でその美術展や講演を開き、それらを納めて展示する美術館をつくる資金と朝鮮総督府の許可を得るために奔走した。

     彼が先頭に立って「日本民藝館」が設立されたのは1936年だが、ソウルに「朝鮮民族美術館」をつくったのはそれより12年も前の1924年。伊藤博文が1909年に暗殺され1910年に韓国併合、1919年には独立をめざす三一運動が起きているから、朝鮮民族美術館のつくられた時代は日本の朝鮮に対する支配が強化され、一方ではますます独立の機運が高まっていたはずだ。
    こんな時期に美術館を設立しようとした柳は、日本人からは独立運動に手を貸すと非難され、朝鮮の独立運動の先端からは総督府の懐柔策の手先だとそしられただろう。

     しかし、柳がこういう視点を持っていたのは、ずっと若い頃からだったのだ。1908年、乃木希典が院長をつとめる学習院の高等科一年のとき、「外の敵と戦う前におのれ自身の中にある敵と戦うべきだ」とする一文を著して退学処分の瀬戸際に立ったことがあったが、そのころ学習院で教えていた西田幾多郎が柳を擁護したおかげで処分を免れたというエピソードが、この本のタイトルでいう「青春」の始まりである。それは副題の「失われんとする光化門を守る」ことに成功する1927年までつづくのだから、19歳から38歳の間の長い青春だ。

     美術館開設の準備をすすめるとともに、柳は光化門の保存を求めて活動していた。総督府は旧王宮の前に新しい庁舎をつくり、光化門を解体する計画だったからだ。柳は朝鮮総督・斎藤實に直談判に行き、雑誌改造」に保存を求める一文を書くなどした結果、斎藤は解体を思いとどまり、総督府庁舎の完成した翌年に光化門を移築した。その後 光化門は朝鮮戦争で消失したのち2007年にもとの位置で復元される。斎藤はその後 内大臣のときに二二六事件で暗殺される。

     国境は一本の線の内と外で国家を不連続に分けるが、時代によって揺れ動く。文化の境界は一本の線の内外で分けられるのではなく連続的に変化しながら、むしろつながっている。日本の文化は、中国から朝鮮からあるいは南の島からやってきた文物を受け容れ、それを加工発展させてつくりあげられたものだ。地球上のそれぞれの場所にそれぞれの民族が住み、国ごとに国造り神話がつくられた。ひとが自分たちの生まれ育った土地や国に愛情をもつことはすこぶる自然なことだ。あらゆるの国のひとびとが自分の地を大切に思い気持よく幸福に生きることは、他の場所に生きる人間にとっても気持ちよく しあわせなことであると共感するのが文化というものだと柳は考えていたのだろう。

     朝鮮にかぎらず、都から遠く離れた東北や九州、アイヌ、沖縄などの文物を、ひとびとの目に触れその価値を理解できるように柳が光をあてたのも、それらの背景にある文化の深さを知ることによって争いや差別をなくすことができると考えたからではないか。生物にはかならず死があるように、種もかならず亡びるときが来て、人間という種もいつかは滅亡する。
    しかし、少なくとも人間同士が争って破壊し合い殺し合うことや、人間がつくり出したものが手に負えなくなって我々の生きてきた世界そのものを破壊したために人類が亡びるなどということには、決してしたくないと思う。

    コメント
    私が言いたかったことは、ひとが属する共同体には、地域コミュニティ、基礎自治体から、地球という(実はかなり小さく脆弱な)すべての生ける存在にとっての唯一無二の運命共同体まで、さまざまな段階があり、国民国家はその諸段階のひとつに過ぎず、必ずしも格別視されるべきでないということです。
    投機的資金が国境をやすやすと越えることと、ボードレールの「過ぎ行く雲(les nuages qui passent)」が国境をやすやすと越えることを同列に考えることはできません。また、全世界で事業展開する巨大な多国籍企業が牛耳る文化産業、ファーストフード産業等によるグローバルな画一化が世界の文化多様性を危険にさらすのに対し、真正の文化や文化活動が、一方では地域性を、そして他方では人類共通の普遍性をもちつつも、国籍をもっているわけではないということには積極的な意義が認められます。
    雑草も岩礁も、国土(territoire national)ではなく、このかけがえのない惑星、エドガール・モランのいうTerre-Patrieに属していると考えたいものです。
    仏語のpatrieは、大まかに言って、日本語の「祖国」や独語のVaterland, Heimatlandに近い意味で使われる場合だけでなく、たんに出生地を意味し「故郷」やHeimatに近い用法もあります。代表的な仏語辞書のひとつLe Petit Robertのpatrieの項目には、下のほうの出生地という定義の箇所には「クレルモン=フェランはパスカルのpatrieである」という例文がありますが、上のほうの「祖国」に近い定義の箇所には、興味深いことに、「学芸はpatrieをもたず、すべての人々に係わる」という例文のほか、「エゴイスムと憎しみのみがpatrieをもち、友愛はそんなものをもたない」というラマルティーヌの言葉が引用されています。ラ・マルセイエーズの冒頭ももちろん載っていますが、「Travail, Famille, Patrie」とあってから「ヴィシー政権の標語」という説明が続きます。 つまり、この語がかならずしも美しい理念のみに結び付けられているわけではないことを知ることができるのです。
    生まれ育った地、「故郷」に付けられる振り仮名としての「くに」を愛することは自然なことかもしれません。しかし、国民国家(Etat-nation)をみずからのpatrieとして愛するということはきわめて人工的なことです。なぜなら、そのようなことが可能であるためには、ひとつの中央集権的な近代国家の存在が不可欠の前提だからです。
    私自身は国民国家への格別な帰属感情などもっていませんし、この街やこの惑星を愛する感情を自然にもてるようには、「国を愛する」という感情をもつことは率直に言ってできませんが、そういう感情をもっているひとたちを尊重はします。しかしもし彼らが私に自分たちと同じように考え振舞うよう要求するとしたら、大きな恐怖を覚えることでしょう。ところで、こうしたことは近年日本だけでなく世界的にも現実となり始めています。それには前回のコメントで説明したような背景があります。
    パリ、(環境政党が勝った)グルノーブル、アヴィニョン(極右の脅威に対するオリヴィエ・ピィの明確な態度表明に共感します)などの結果は喜ばしいとしても、二桁に達する自治体で極右政党が勝利してしまったフランス統一地方選の結果には不安にさせられますし、この結果をうけて、環境政党の離脱もかまわずさらに右よりに舵をきるかのような内閣改造(大統領選のときの公約の多くが事実上反故にされ、欧州委員会や経営者団体の意向に沿う供給側重視の政策、構造改革が進められていることに失望した社会党の選挙民のかなり多くが棄権したことが敗因なのに)という対応をとっているオランド氏には残念ながらますます失望させられます。
    世界の99%が国境を越えて連帯し、新自由主義的、市場主義的グローバル化の世界とは別の、もうひとつの可能な世界を実現したいものです。

    「雪」と「国土」がやや気になりましたのでそれについてだけ簡単に書こうと思ったのですが、また大変長いコメントになってしまいました。おゆるしください。
    • Tosi
    • 2014/04/05 11:29 AM
    Tosiさん
    書き始めると、あれもこれも考えてしまって拡散するばかりで、返信コメント すっかりおそくなって申し訳ありません。
     いまもって、どこも先進国の経済はグローバリズムの道をひた走り、国内グローバリズムも未だにやみそうになく、どこの地方に行っても国道沿いは同じような大型店のならぶ景観になっていきます。

     グローバリズムを推進する連中にかぎって、ひとに対しては国を愛しなさいと言い、まわりの国々をあしざまに言う。その前に、お前たちの方こそ、愛さずにいられないような国をつくりなさい、大切な国土を放射性物質で汚すなよと言いたくなる。

     愛国心の涵養を口にして国家を運営する諸君より、じつは「国家」に辟易するぼくたち。ボードレールが雪を愛すると言うように、道路の舗装のすき間に花を咲かせる雑草たちに心躍らせるおれたちの方が、よほどくにを愛しているのだ・・・それは決して国家と同義語ではないないのだと、ことあるごとに感じます。
    国民国家や国民国家の枠組みのうえに基礎付けられた思考様式や世界観といったものは近代の所産であり、こうしたすべては(とくに欧州において)終わりつつあります。逆説的なことに、終わりつつあるからこそ、欧州においてさえもナショナリスムや極右勢力の伸張がみられるのだとも言えます。また、1980年代以来、経済のグローバル化のもとで欧州連合の進路も新自由主義、市場主義の方向に極端に片寄ってしまい、雇用の不安定化や格差の拡大が、中間層・大衆層のかなりの部分に実際に打撃をあたえるか、あるいは深い不安を引き起こし続けている、ということも無視できません。
    日本における(とくに1970年代生まれ以降の若い世代にみられる)ナショナリスムや外国人排斥の傾向もこれと比較可能な文脈のなかで説明できると思います。
    こんにちの危機は、国民国家が終わりつつあり、この古い枠組みにおいてデモクラシーが以前のようにはうまく機能しなくなり、国境を越えた金融市場等の影響力ばかりが強まっていくあいだに、欧州連合における「デモクラシーの赤字」にみられるように、それに代わる新しい有効な枠組みがまだ確立されるにいたっていないということにあるのだとおもいます。
    こんにちの日本において右派が「愛国心の涵養」と称することを掲げるたびに、私はボードレールの有名な詩を思い出します。
    http://fr.wikisource.org/wiki/L%27%C3%89tranger
    patriotismeに愛国心という訳語をあて、patrieを国民国家の枠組みでしか考えず、国民国家への帰属感情をもつことをことさら要求するのは恐るべき時代錯誤です。これに対して、例えば、「フランス人であるだけでなく、一方ではイルドフランス人(Francilien)やパリ人(Parisien)であり、他方では欧州人さらには世界市民(citoyen du monde, Weltbürger)である」、というように考えることができれば、patrieは欧州でもあり、世界(地球という惑星)でもあります。
    http://www.amazon.fr/Terre-Patrie-Edgar-Morin/dp/2757818740
    柳宗悦が擁護した文化や文物も人類共通の世界的遺産(patrimoine mondial)に属するものにほかなりません。  
    • Tosi
    • 2014/03/15 1:03 AM
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