ビル・カニンガム&ニューヨーク
このごろぼくは劇映画であるかドキュメンタリーであるかをほとんど意識せずに映画をみている・・・これを見終わったあとに気づいた。
映画の作り手はたがいの方法を取り入れるようになっているんだろうし、ぼくたち受け手の側には 映画やテレビ以外のさまざまなメディアからあふれるほどの映像が身近に入るようになった。まして、事実を伝えるとされてきたマスメディアは、ある方向の事実をとらえた映像の中から 制作者だけではなくスポンサーや権力者の意図に沿って断片を選び出して編集しているということを、多くの人が実感として知るようになった。
事実とフィクションの境界は連続的になったにしても、目指すべきはいずれにしても、 世界とは何かという真実だ。
見逃していた「ビル・カニンガム&ニューヨーク」をギンレイホールで上映するときいて楽しみにしていたから、ぼくにしてはめずらしく初日に行くことにした。
ビルは82歳、長いあいだ カーネギーホールの上に独りで住んでいる。毎日のように自転車でニューヨークの街を走りまわっては、魅力的に衣服をまとった女たち、男たち、そのあいだの人たちを見つけると、こぼれるような笑みをたたえてニコンのシャッターを切って50年。自転車はもう29台目、28台は盗まれた。
彼は、ニューヨークタイムズにOn the Streetという写真コラム(そんな言葉があるかどうか知らないが)を長い間つづけている。
生きるための必須項目とされる「衣食住」のうち、ぼくにとって「衣」は優先順位の最後尾にある。にもかかわらず、時間と思いのありったけを「衣」に費やすビルに、ぼくは深く共感した。
ビルがレンズを向けるのはファッションを追いかける人たちでなく、着ることによってファッションをつくり出している人たちで、彼自身は清掃作業員のジャケット、雨がふれば使い古したビニールのポンチョにビニールテープでツギをあてるという具合だ。 といっても、若いころは帽子のデザイナーとして売れっ子だったらしいが、第二次大戦が始まると できたての店をたたんで志願した。
締め切りが迫るNYタイムズの編集室、スキャナーの上にフィルムを置いてビルは若い編集者と写真を選びレイアウトについてやりあう。フィルムはオレンジ色のネガフィルム・・・自分のスタイルは変えないのだ。
彼のアパートメントの空間の大部分を引き出し式のスチールキャビネットが占めていて、その中にはきっとネガフィルムがぎっしりと詰まっている。ビルが写真を撮るときに、頭の中には あのキャビネットのように数十年にわたるニューヨークのファッションが蓄積されていて、それを一瞬のうちに検索して判断するのだ。彼が撮るのは、表層のいまだけではなく重ねられた過去の層のいちばん上にあるものなのだろう。
もしも彼がカメラをデジタルに代えれば、50年にわたって蓄積してきたファッションのアーカイブのシステムが不完全になってしまう。あのスティールキャビネットの中には、数十年のニューヨークをファッションという断面で切った世界が詰まっている。言ってみれば、ビル自身のバックアップディスクだ。
(ギンレイホールでは11月22日まで上映している)
ぼくは、ニューヨークとビル・カニンガム、東京と槇文彦という組み合わせを並べている
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- 2013.11.16 Saturday
- ひと
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- by 玉井一匡