年のはじめの「バンクーバーの朝日」

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    Click to jump to バンクーバーの朝日
     
    毎年ぼくは干支と太陽を材料にして年賀状をつくるのだが
    昨年11月に義母が世を去って
    年賀状をつくりませんでした
    彼女は湯上がりの気もちよさにつつまれ おだやかにベッドで目を閉じていたので
    いまもどこか近くにいるように 家族は感じています
    そんなわけで
    年賀状の欠礼のごあいさつもさしあげず、新しい年に年賀状を多数いただきました
    みなさまの新しい年がよい年になるよう願いつつ
    多くの方々と共にするこれからの日々を大切にしようと改めて思います

     
     年末から年始を 母のいる新潟ですごして2日の夜に東京にもどった翌日、年賀状の太陽の代わりに映画で朝日を見ようと「ユナイテッド・シネマとしまえん」に自転車を走らせた・・・「バンクーバーの朝日」を見るために。
    この「朝日」は太陽のことでも新聞のことでもない。かつてバンクーバーにあった日本人移民の野球チームの名称で、日頃はカナダ人にこき使われ差別され苦しい生活を強いられている彼らが、日々の生活とはちがってカナダ人たちと同じ場所に立ってプレイできるのだ・・・グラウンドで野球を。

     上映開始まぎわに駆けつけると 発券カウンターで、一番前の席しかないがつぎの上映にするかと訊ねられたが、一番前でもいいと言って予告編を見はじめた。
    しかし、スクリーンを見上げなければならないのはいいとしても画面の両端が視界におさまらないからすぐに席をはなれ、入口近くの通路で立ち見することにした。ほかには誰も立っている人はいないから後ろも横も気にすることはない、気楽なものだ。満員で活気があるのは楽しいことだし、椅子こそないが床は広いからストレッチだってできる。移民たちのつらい生活を思えば,立っていることなんて大したことではない。2時間半は、またたく間に過ぎた。

    午前0時のフィルム映写会

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      夕方、ギンレイホールの藤永さんがチラシの束を手にドアをあけた
      「こんど、こういうのをやります」
      ギンレイホールの映写室に1台残してあるフィルム映写機をつかって、5, 6, 7, 8月第4週目の金・土曜深夜23時から、3本立てで映画を見ようというのだ。ギンレイのウェブサイトにもお知らせがある。

      演し物はいずれも、かつてギンレイで上映して評判の高かった日本映画を、それぞれの日で共通するテーマでくくった3本を上映するようだ。 
      5月30・31日:ラヂオの時間・博士の愛した数式・運命じゃない人
      6月27・28日:武士の一分・雨あがる・座頭市
      7月25・26日:シコふんじゃった・ウォーターボーイズ・フラガール
      8月22・23日:劔岳 点の記・ゆれる・単騎、千里を走る

      一般はひとり2,000円、シネパスポートもつかえる。パスポート会員の同伴者は1名まで1000円。いずれも、当日営業時間に窓口で入場整理券を配る。終わるのは5時頃だから始発電車が動き出すようにしてあるようだ。健さんのヤクザ映画全盛の頃でさえ、3本立てオールナイトというのは、ぼくは見たことがないような気がする。5月は、ワールドカップと重なるのが僕にはちょっと気になるとはいえ、こういうことをやるなら社長の加藤さんがフィルム映写機を集めていることに注目が集まっている今をおいてない。この反響を見て、つぎのシリーズは外国映画を上映するんだろう。
      頑張れギンレイホール!

      「かぞくのくに」と「舟を編む」

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         ギンレイホールで上映中の2つの日本映画は、文化と制度という対概念の興味深い組み合わせだ。
        舟を編む」は、新しい国語辞典をつくろうとする人々を描いている。「かぞくのくに」は、かつて北朝鮮に渡った兄が病気治療のために一時帰国するのをむかえる在日朝鮮人の家族を、妹の眼で見る話だ。

         言語は文化の根幹をなすものである。その要素であることばたちを集めて整理したものが国語辞典だ。国語辞典という言い方をそのまま英語にしたら National language dictionary とでもいうんだろうが、そんな言い方をする辞書がどこかの国にあるとは、僕は知らない。ぼくたちが日本語辞典と言わず国語辞典ということに、どこか間違いがあるのかもしれないという疑問を忘れないでおこうと思う。とはいえ、ぼくは図鑑とおなじような意味で国語辞典もだいすきだ。ひとつの世界の全体をまるごと見せてくれる博物館のようなものだと感じるからだ。

         言語が文化の根幹であるとすれば、国家というものはほぼ最大の制度だ。制度は、その枠組みの中にいるものを護るために作られたはずだが、べつの見方をすれば、それを逸脱するものはその恩恵から排除されるということでもある。何であれ制度というものは、おおかた排他的なものだ。
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