森達也の小説「千代田区一番一号のラビリンス」

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     ネットメディアのデモクラシータイムズに、新刊書の著者を招き 鈴木耕がインタビューする「著者に聞く!」という番組がある。

     そこにゲストとして森達也を招いて、小説「千代田区一番一号のラビリンス」を取り上げている。明仁天皇夫妻を主人公にした物語で、自分では なかなか面白いと思っているのだが 新聞・雑誌などマスメディアの書評は一向に取り上げてくれないと、はなはだ不服そうに著者は語っている。

     

     話の冒頭を少し聞いているうちに、ぼくは この本を ぜひ読みたいと思ったので、二人がストーリーについて踏み込んだ話をはじめる前に YouTubeの対談を途中で切ることにした。

     本を読むと、たしかに さまざまな意味で とても面白い・・・物語として、社会についての問題提起として、着眼としても、そして 天皇夫妻を描いたということも・・・森達也の不満はもっともだ。

     

     しかし 彼は、マスメディアがこの本を取り上げることに臆病であることなど覚悟の上で書いたに違いない。なにしろ この小説は 天皇を描くとともに、天皇について論じることを過剰に恐れるマスメディアを描いているのだから。

     

     小説を読み終わると  ぼくはふたたびYouTubeを開いて、対談「著者に聞く 千代田区一番1号のラビリンス」を最後まで見なおした。


    「1Q84」と「1984」と 2022

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       7月8日に安倍晋三が撃たれてほどなく 警察発表によって銃撃の動機が公表されると、それが ネットに流れたのを見て ぼくは村上春樹の「1Q84」を思い出した。

       

       「1Q84」には、男女ふたりの主人公がいる。

      その一方の「青豆」は、DVを振るう男を標的に依頼を受けて、金のためではなく確実になしとげる暗殺者である。知的で かつ心身を自在にコントロールできる魅力的な人間として描かれている。

       

       物語の背景には、閉鎖的でありながら人の中に入りこむカルト教団がある。

      青豆自身は、それとは別のカルト教団の きわめて熱心な信者の娘として生まれ きびしい戒律を守り子供時代を育った。おかげで周囲の人々との間には深い乖離が生じ、さりとて教団や教義を いささかも信じないから、やがて みずからの意志で家を出て自活した二世信者である。

       

       銃撃事件の数日後にネットの情報番組ArkTimesで、ゲストにワシントンポストの記者をZOOMで招き アメリカにおける統一教会について話をきくのを見た。

      統一教会の教祖 文鮮明の姓「文」は韓国語で「ムン」と発音するので アメリカでは それをMOONと表記して、彼らの信仰をMOONISMと呼んでいたので、一見 やさしげな印象を与えていたというのだ・・・そう聞いて「1Q84」の世界には 空に二つの月が浮かんでいたことを思い出した。

       

       村上春樹は オウム真理教を題材に「アンダーグラウンド」というノンフィクションを書いている。ぼくは、オウムに興味を持たなかったから 読んでいないが、村上のことだからカルト教団と信者について丹念に調べ インタビューを重ねたに違いないし、統一教会にも関心を持っていただろう、それが1Q84のどこかに反映されたり密かに 何かが埋め込まれたりしているのではないかと興味を持った。

       


      「海をあげる」

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         「海をあげる」上間陽子/筑摩書房

         

         昨年末、若い友人夫妻にすすめられて本屋大賞2021ノンフィクション本大賞の贈彰式をYouTubeで見た。

         著者である上間陽子さんのスピーチは 胸を打つ不思議な印象を残した。きわめて深刻な 沖縄の若い女のひとたちのありさまや、動こうとも減らそうともしない米軍基地のもとに暮らさざるをえない日々の 不条理を語りながらも なにか美しいものに包まれているようなのだ。

         

         1週間ほどのちに 二人に会うと、読み終わったら 周りの方に回してあげてくださいと言って この本を貸してくださった。表紙のデザインが気にいった本を読むときの常で、ぼくは インクジェットのプリンターでカバーのカラーコピーをつくり、二重にカバーを着せた。

         ぼくが読みおわったあとは、50年も前からまちづくりで沖縄に通い続ける友人と その家族が読んでいる。

         

         本を読むと、内容の印象が 表彰式のスピーチそのままだった。そのうえ、表紙の視覚的な印象も 相似形をなしているようだ。絵は、海の底に植物とも動物とも知れない生きものが 光を浴びながらゆらゆらと動いているようで、美しい けれども どこか不穏なものが潜んでいる。

        表紙のデザイン・スピーチ・本の内容・そして沖縄のありよう、それらの旋律がコーラスのように響きあって 心の底に残る。


        「崖っぷち国家日本の決断」

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          崖っぷち国家日本の決断」/孫崎享マーティン・ファクラー/日本文芸社/2015.02.28

           以前に「青春の柳宗悦」というエントリーでも 同じような書き出しではじめたが、1億もの人間がいれば、中には極端な考えをもつ人間もいるのは当然のことだ。
          しかし、一国を代表し国家の行動を決定するはずの首相とその内閣が極端な考えをもち、まともな判断力をもたないというのは深刻な問題だ。

           外から見れば、われわれ国民が安部晋三とひとくくりにされて「日本」として認識されるのは はなはだ不本意なことだが、それどころか、周りの国と人々にとって危険きわまりないことでもある。
          安倍政権がやったことを列挙すると、どれほど危険なことを重ねるのかと改めてうんざりする。

          ・いつかは必ず大地震や噴火の起きる この国で原発を再稼働
          ・機密保護法の制定を強行
          ・集団的自衛権を強引に立法化
          ・沖縄県民の反対を無視して辺野古基地建設を強行
          ・自民党自身が選挙で反対を公約したはずのTPPを強引に締結へ進む
          ・原発を輸出する
          ・武器輸出緩和を求める経団連の要望に すぐさま対応する
          正気の沙汰とは思えないことを つぎつぎと実行した。

          こういう政策をすすめる内閣の面々が情けない振舞いにおよぶのは必然だが
          ・首相みずから「福島第一原発の放射性汚染水は完全にコントロールされている」
           と公然と嘘をついてオリンピックを招致する
          ・日本人がISに捉えられているのを承知で「有志連合」に金を提供するなどと
           これ見よがしに公言して処刑の理由を与える
          ・国会では椅子にふんぞりかえり「早く質問しろよ!」とヤジを飛ばし
          ・質問には答えられず延々と無関係な「持論」をくりかえす
          ・副首相は「ナチのやり方を真似ればいい」と自慢げにうそぶく
          ・何人もの大臣が怪しい金を受けとり、下着泥棒をしたといわれる男は居座る。

          かつて、森喜朗が首相だったときに退陣に追い込まれたのは、「日本は神の国だ」と遺族会で言ったからだったことを思えば、森が気の毒に見えるほどだ。

           この本を、こういう内閣に我慢のならない人が読めば、外国のジャーナリストがこのありさまを認知していることに 一縷の希望を抱くことができる。 安部晋三を信じてやまない人でも、すこしは考え直すかもしれない。


          かもめブックス:本屋は大きくなくてもいい

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             数ヶ月前、神楽坂を登り切ったあたりに「かもめブックス」という本屋ができた。まえにも本屋が入っていた古いビルの1階を改装して新しい経営ですっかり生まれ変わったのだ。

             道路に面したところにはカフェ、奥に小さなギャラリーがあるし、文房具もすこし置いてある。壁面を本棚が埋め尽くしているわけではなくて、本棚と柱の間には隙間もある。気候のいい日には道路にむかって店を開け放っている。店の外には、板張りの床の一画を塀で囲んだ喫煙コーナーがある。
             もともと決して大きな店ではないうえに、ほかのもののために場所を割いているのだから本の売り場も本の点数も大分すくなくなっているはずなのだが、ぼくには本が少ないとは感じられなかった。

             本が好きだといっても、読みたいものは、世の中にあるもののうちの ごく一部にすぎないのだから、本屋にさほど広い床面積は必要はないのだ。
            インターネットから莫大な情報をいつでも取り出せるようになったいま、 ぼくたちが書店に求めるものは、情報の量でも本の数でも床面積でもない。好きな本をきもちよく開いて見て、気に入ったら連れて帰ることのできる場所なのだ。

             たとえば上野の駅ナカに大きな本屋があるけれど、ぼくは いささかも知的好奇心をそそられることがない。なにしろ入口まわりには嫌中嫌韓ものを集めたコーナーを設け、売れるものであればどんな卑しい気持ちでつくられたものであろうと、人目を惹くところに置こうというのだ。こんな店では決して買わない、店に入ることさえしない。無駄な情報と罵倒に満ちた2チャンネルを店にしたような代物だ。

            震える牛

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              「震える牛」/相場英雄/小学館

               迷宮入りした事件を再捜査する部署をつくり、有能だがわけあって窓際にやられている刑事をそこに配置するというスタイルは、ヨーロッパでもアメリカでも日本でも、近来の推理小説のひとつのジャンルを確立したようだ。

               そういう刑事を主人公にする この小説を読み始めたのは、すこぶる個人的な理由からだった。なにしろ彼は うちの最寄り駅である西武新宿線の新井薬師駅の近くに住んでいて、事件は そこからJR中野駅に歩いて行く途中にある中野駅北口 飲食店街の居酒屋で起きる。

               それだけではない、彼が捜査に行く先のひとつが新潟市に実在するショッピングセンターで、そこは母の家からもっとも近いスーパーマーケットをモデルにしていることが明白にわかるのだ。
               
               とはいえ、そんな個人的な偶然は読み始めた動機にすぎない。そのあと一気に読んでしまったのは、推理小説として無駄も破綻もなく構築されているから先を急ぐ思いがとまらないし、現在の日本中を蝕んでいる普遍的で根深い問題を題材にしているためだ。
               ところが、Amazonのレビューを見ると、星の数が平均では3.5ほどで思いのほか少ないと感じて内訳を見ると理由がわかる。9月13日現在、5つ星から1つまでが16-18-9-6-4というぐあいに並んで、5つ星4つ星がとても多いのに2や1さえ、かなりの数あるという珍しい分布をしている。

              キャパの時代・ぼくたちの時代

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                 沢木耕太郎の「キャパの十字架」のあと、ぼくはずいぶん長いあいだエントリーしないまま、やがてふた月になる。
                 言いたいことがなくなったからではなくて、言わなければならないことや 知りたいことが次から次へと出てきて、それらがたがいにつながっているうえに、いま われわれの生きる時代とも深くつながっているから、ときに腹立たしくときに落ち着かなくなるのだ。

                 「キャパの十字架」を読み終わったあと、どうも釈然としないところがあった。それは、このノンフィクションと並行して同じ題材のNHKのドキュメンタリー番組に沢木がたずさわっていたことと関わりあるにちがいないが、ぼくはそれをまだ見ていないのだとブログに書いた。
                 すると、すぐに五十嵐進さんから、DVDにダビングして送るというメールをいただいて数日後には、NHK スペシャル「沢木耕太郎推理ドキュメント運命の一枚”戦場”写真最大の謎に挑む」日曜美術館「ふたりのキャパ」が届いた。

                 このNHKスペシャルは、沢木自身が案内役をつとめ、ナレーションの文章も沢木の書いたものが使われるくらい、彼自身が深く関わって「十字架」と同じ道筋でおなじ結論に至るのだ。しかし、たった一枚の写真という題材を検証するとあっては、映像とコンピューターがやすやすとやってのけることに、文章はとてもかなわない。
                 DVDを見たあとに、沢木自身を動かしたのは何だったのか、それ以上にキャパとその時代について知りたくなったぼくは「ちょっとピンぼけ」もまだ読んでいないのだが、沢木の翻訳した二巻の伝記「キャパ その青春」「キャパ その死」(リチャード・ウィーラー著)を手に入れた。


                キャパの十字架

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                  「キャパの十字架」/沢木耕太郎著/ 
                   
                    10数年前に、沢木耕太郎がキャパの伝記(キャパ その青春キャパ その死)を翻訳した時に知った、かねてから提示されていた疑問・・・キャパがスペイン内戦のときに撮ったとされる「崩れ落ちる兵士」という写真は、ほんとうにキャパが撮ったのか?いつ・どこで撮られたのか?・・・を、みずからスペインに渡り解き明かしてゆき ある結論にたどり着くというノンフィクションだ。

                   これまで沢木耕太郎を愛読してきたぼくにとっては胸躍る読書であるはずなのに、そういう思いには至らずに、なぜだろうかと考えながら理由がわからないまま読み終えた。
                   その不満の原因をさがしだして、ぼくにとって、この読書の収穫にしよう。おそらく、それは現在のメディアのありかたに理由がある。
                   
                   ぼくは、映画を見るとき、旅にゆく前にも予備知識をできるだけ持たないままで行きたいのだが、ちかごろの映画の予告編は映画を見る必要がないくらいに物語をつたえてしまうから、予告編を見ないことにしている。ギンレイホールで次回の予告編が終わるまで、ぼくはiPhoneのイヤフォンで耳栓をして音楽を聴き、薄暗い光で本を読み続けるのだ。

                   現実には、新聞広告やポスターやチラシ、資金の豊富なやつはそれにTVのCM、さらには口コミやマスコミの評判も含めたものが一本の映画と集合体を形成するメディアとして、ひとつの映像表現なのだとは思う。しかしぼくは、その前に映画そのものをまずひとつの表現として見たい。すくなくとも、ひとの見方を知る前に自分で考えたい。それは本であれ中学校の教科書であれ、同じように思ってきた。

                   ところがこの本の腰巻きには、差し出がましい予告編のように、著者が解き明かそうとしている謎の答えが書かれている。少なくとも、それを視界の端にとらえてしまったことがぼくの読書のよろこびをそこなったのは確かだ。
                   あとになって、この本に書かれていることは沢木耕太郎の出演するドキュメンタリー番組としてNHKから放送されたことを知った。番組をまだ見ていないから、それをつくることがこの本にどのような影響をおよぼしたのかは想像するしかないけれど、無関係とはいえないだろう。本の初版が2013年2月13日で、放送はその10日前の2月3日なのだが、NHKについては、あとがきでわずかに触れているだけだ。

                   ほかでもない、この本は、戦場における死をとらえた写真という、メディアそのものを主題にしたノンフィクションであるのだから、本と並行してテレビのドキュメンタリーが作られたことを取り上げ、そのことも取材の対象にするべきだったのではないか。 それが書かれていないところに、沢木の探索に切実さが欠けていると感じられるのではないか。

                  「海底二万里」はおもしろい

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                     海底二万里 上・下/ジュール・ヴェルヌ著/村松潔訳/新潮文庫

                     もし村松潔さんが翻訳されなかったら、ぼくはこの小説を読むことはなかっただろう。
                     aki's STOCKTAKINGでこの本のことを知って、なぜ新たに村松さんが翻訳をするのだろうという好奇心を持ちながら、読書中の本も待機中の本もあったから、新潟に行く時を待って駅前のジュンク堂で買った。ぼくはAmazonで調べて贔屓の本屋で買うのを原則にしている。

                     読み始めても具体的な記憶がよみがえらない。ぼくは子供向けの小説も読んでいないようだ。しかし、なまじ子供向けのものなど読んでいなかったのはむしろ幸いだった・・・とにかく面白いのだ。
                     海の中の景色そのものはテレビでも自分でも見ているからそれに驚きはしない。しかし、この時代すでに蓄積されていた知識の豊かさと それを通してつくられた世界観は、いまも興味深いし、この本の書かれた時代の背景にそれを重ねると いっそうかがやきを増す。
                     
                     洋上を航行する大型船が何者かにぶつかっては大きな痕跡を残すという事件が頻繁に起こる。謎の巨大生物に世界が騒然となって、正体を解明すべく調査船が向けられることになった。そこに同乗しないかと、アメリカ滞在中のフランス人博物学者アロナクスに声がかかり、彼は助手を連れて要請に応える・・・物語の発端でさえ、ぼくは知らなかった。
                    物語は、このアロナクスの視点を通じて描かれる。

                    「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」=「裏切りのサーカス」

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                       aki's STOCKTAKINGで「ティンカーテイラー・ソルジャー・スパイ」のことが書かれので、書きかけだったのを引っ張り出してきた。
                       対立という協力関係によって構築されたベルリンの壁が壊れたあと、国家の対立を軸とする国際情勢が終わったという気分になったんだろう、スパイ小説はあまり書かれなくなり、主人公が企業のための調査の仕事を請け負うようになった。
                      そのうちに、ぼくも読む気にならなくなった。ところが、国際情勢が緊張をましてきたからなんだろうか、このごろはスパイ小説をおもしろいと感じるのだ。
                       
                       スパイ小説作家として007のイアン・フレミングと双璧をなすジョン・ル・カレには、スマイリーシリーズといわれる三部作がある。ぼくは007の映画を見たが小説を読んだことがないのとは逆に、ジョン・ル・カレは小説を読んでいるが映画は見たことがなかった。女にもてる派手なジェームズ・ボンドと妻にさえ手ひどい仕打ちを受ける地味なスマイリーに共通するのは、著者がふたりともイギリス外務省のもとにある情報機関MI6の出身という経歴だ。
                       
                       ロンドンオリンピックの開会式のためにつくられた映像にエリザベス女王が登場して、宮殿に迎えに来た男と女王がスカイダイビングしたのを見て、ぼくは女王のチャーミングにまいってしまったのだが、あとになって、あれがいま封切り上映中の007映画「スカイフォール」のジェームズ・ボンドで映画のストーリーと重ねた演出なのだと知って、イギリスの王室と国民が互いをうまくつかう成熟のほどに感心した。
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