「卵をめぐる祖父の戦争」と「25時」: さしせまる時間 と 閉ざされた場所

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     卵をめぐる祖父の戦争/デイヴィッド・ベニオフ著/田口俊樹訳/早川書房

     

     春に 友人がサンクト・ペテルブルクに行ってきた。その写真を見せてもらいながら ぼくは、「卵をめぐる祖父の戦争」という小説を思い出して、もういちど読みたくなった。

     

     ヒトラーのドイツ軍に都市を包囲されて、あらゆる補給路を断たれ、 食料も燃料もなくなり、多くの命を失いながら市民たちが耐え続けたと言われる レニングラード包囲戦を背景にした物語だからだ。

     

     1941年9月から1944年1月まで、窮乏の中で3回もの冬を越えた。レニングラード市民は耐えぬいたとソ連は讃えたが、それは背後にスターリンの銃口とシベリア送りがあったからで、市民からすれば ナチとスターリンを耐えぬいたということだと、この小説の数々のシーンから実感できる。


     歴史上屈指の 残虐な独裁者を相手に 外と内で対峙しなければならない市民のありさまは、いまでは自分の身に寄せて物語を想像できるようになった。なにしろ、我々も 内には独裁者になって戦争をはじめたくてウズウズしているような首相を持ち、外には海の向こうに世界で指折りの独裁者がいるのだ。

     

     前に読んで とても面白かったが それは図書館から借りたものだったから、そばに置いておきたいと思っていたので、すぐに買って読みなおした。( 前にもエントリーした:卵をめぐる祖父の戦争/MyPlace)とても面白いよと、その本を 友人に進呈したのだが、読み終わった彼は 傑作だなと言って それを返してくれた。

     それというも、この小説の著者デイヴィッド・ベニオフのデビュー作「25時」は新潮社にいる彼の弟さんが編集したので 以前に「卵をめぐる祖父の戦争」をもらったのが 自宅にあったのだという。

     

     なんでも、翻訳出版の世界には、前の作品を出版した会社が つぎの作品を優先的に出版できるという不文律があるそうで、「25時」の次に書かれた99999(ナインズ)』という短編集の翻訳を出したのだが その売れ行きが芳しくなかったために「卵をめぐる祖父の戦争」を新潮社は見送った。それを、翻訳者はそのままに 早川書房は デザインを一新した 「ポケットミステリー」シリーズの第一作に選ぶという厚遇で迎えたのだ。

     

     そんな裏話がたくさん盛り込まれた 翻訳の田口俊樹と弟さんとの対談もメールに添付して送ってくれた。それがすこぶる面白かったのだが、残念ながら翻訳講座の会員だけのためのサイトのものだからリンクすることができない。

     


    サムライとヤクザ:ゴッド ファーザー +

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       むかしの話だが 飛行機の隣席に座った客に こう訊ねられたことがある。
      「サムライとヤクザはどう違うのか」というのだ。
       普通に日本語で「あいつはサムライだ」と言えば、おおいに人物を褒める言葉であるし「ありゃあヤクザだ」と言えば 誰もあんなやつ相手にしないというに等しいから、このふたつを比較するということ自体に意表を突かれた気がした。

        彼は30代半ばほどの ユダヤ系スウェーデン人で、近くイスラエルに移住するのだという。つねに戦時下にある国に みずから加わろうとするというにしては、かくべつ気負っている風ではなかった。
       今になってみれば、もっと深く興味深い会話ができただろうにと思うが、時間が残されていなかったのだろう、正確には憶えていないが、こんな あたらずさわらずの 不十分な説明をしたと思う。

      ・・・かつて将軍という権力者が日本全土を支配していた頃、彼は 各地に領主を置いて、サムライは その領主に仕え、本来のサムライは自らを厳しく律した。しかし、君主の死や領土の没収など様々な理由で失業したサムライたち、賭博で身を持ち崩した町民、剣の腕をあげた農民などがヤクザになった。ヤクザたちは制度や法に支えられる社会から逸脱して、賭博や売春で稼ぎ独自の掟にしたがう社会をつくった。厳格な上下関係が秩序の根幹をなし 武力に支えられていることは、サムライとヤクザの世界は似ているかもしれない・・・と。
      しかし、このひとが高倉健のヤクザ映画を見ていたとすれば、フィクションでは ヤクザにもサムライのように厳しく己を律した人間がいたのだが、それは話さなかったな、なにしろぼくはあの時代、一世を風靡したヤクザ映画を一度も見ていなかった。

      春が来た

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         ここ数日のあいだ曇りと雨がつづいたあとに快晴がもどり、季節は春にむかって目盛りをひとつ進めた。

         昨日の朝、西武新宿線の線路と並行して自転車を走らせていると視界の左端に春の花が流れていった。4〜5m通り過ぎてふりかえると、日射しを浴びてゼラニウムが咲いている。いままでぼくはゼラニウムをいいと思ったことは一度もないのに、なぜか気になって戻ることにした。

         道路から1mほど高いところにある古い木造の家の、板張りの外壁と擁壁の間にわずかに残された土から身を伸ばしている花たちは さして手をかけられているようではないが、鉄の角パイプを溶接した格子のあいだから顔を出して道行く人とことばを交わしているように生き生きしている。
         ハウスメーカーのつくる大量生産の外壁やフェンスは、いつまでも新しそうではあるが、可愛げがないし生きている気配がとぼしいのだが、ここの古い擁壁も格子も外壁も家そのものも よく手入れがされた古さがゼラニウムの生きのよさといっしょになって好ましい。

        この前の歩道に立って向かい側に視線を移すと、そちらにはこことはまた別の春があった。

        プノンペンの「リセ」と「トゥール スレン」の間

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           写真を見れば、椰子の木が何かを語らうように並んでいるのをまえに、風通しのいい廊下が庭に開いている。
           おおかた 教室では、ひと気のない校庭を横目にながめながら、たいくつな授業の時間をやり過ごそうとしている生徒がいるのだろう。やがて休み時間になると生徒たちは先をきそって廊下に校庭にあふれだす・・・この写真をみると、そんな気配がただよっている。

           ここは かつて学校だった。フランス流にリセとよばれたが、1976年に改装がほどこされた。教室の中に1mそこそこの間隔で中空の煉瓦を積み上げて壁をつくり空間を切りわける。教室を区画する壁には廊下に沿って人の通れる程度の開口を穿ち、外廊下の内側に平行してもうひとつの廊下がつくられた。中空の煉瓦には、いうまでもなくモルタルが詰められた・・・それだけでリセは、監獄に変えられた。

          国立競技場・早明戦・松任谷由実・ノーサイド

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              二週間前 121日の日曜日、ぼくは数年ぶりで国立競技場に行った。早明戦ラグビーがここで行われるのは最後とあって、千駄ヶ谷駅で電車をおりると 駅から競技場までの歩道はびっしりと人で埋まっている。実を言えば、このときぼくはどちらを応援するかさえ決めないまま人の流れにまかせて歩いていたが、学生が配っている号外のようなものを受け取ると「早稲田スポーツ」という、大学の発行とおぼしきスポーツ新聞だったから、これをもらった偶然に選択をゆだね早稲田側の席で見ることにした。

             ぼくにしてはめずらしく この試合のことを知るとすぐにネットでチケットを買った。試合後に松任谷由実が「ノーサイド」を歌うと知ったからだが、試合前日まで会場を秩父宮ラグビー場とばかり思いこんでいたので、チケットを見て会場は国立競技場とあるのを知ると、ぼくはにわかに気合いが入った。満員の観客の只中に身を置いて、新競技場がつくられることで何が失われるのかを知ることができるんだから。 


            植物連鎖

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               日曜の朝の10時過ぎ、通りがかりの家の玄関先におかれた鉢、人の背丈ほどにすっくとのばした茎のさきに 蓮が一輪の花をつけている。ここの主とおぼしき浴衣がけの人が いとおしげにそれを見ていた。
                前夜に通りがかったときのつぼみは、 赤みがやや強すぎるほどだったのに、開くと その赤は花びらの先にすこしずつ分かち合ったようで、ほんのりと紅をのこした すがすがしい白い花に姿を変えている。

              「金魚もメダカもいませんが、ボウフラは出ませんか?」

              「この鉢は鉄なのでボウフラがわかないようです。ところが、ヤゴは棲めるらしくて、2匹がトンボになって飛んでいきました」とおっしゃる。

              あとになって話に加わった隣人によれば、黒地に黄色の横縞の大きなやつだったからオニヤンマだろうという。

              「ボウフラもいないのに、ヤゴは何を食べるんでしょう?」

              「ミジンコだと思うんです。金魚のエサに乾燥ミジンコが入っていて、それを水に入れると生き返るんですね。ミジンコというのは苔でも食べているのかと思っていたら、じつは肉食もする獰猛なやつで、イトミミズなどをいれると群がって食っちゃうんですよ」

               昼過ぎになると花を閉じますが、 明日の朝にはまた開きますから 開くところを見たかったら 5時か6時くらいにいらっしゃいとおっしゃるので、明日の朝 またうかがうかもしれないと言って駅にむかった。その夜には、ふたたび固く赤い蕾にもどっていた。


              「ヴィオロン」で「カフェ杏奴」

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                 3月20日 春分の日、ヴィオロンで岩城里江子さんのアコーディオンのライブを聴いた。
                 ヴィオロンの前の道はスターロードなどというから、それだけをきいたらアカデミー賞のレッドカーペットのようなものを思い浮かべてしまいそうだが、阿佐ヶ谷駅前から線路と平行して飲食店が軒を連ねるすこぶる人間的な道幅の商店街をゆくと、やがてそれが住宅や木造アパートなどが多くなってくるから、通り過ぎてしまったのだろうかと不安になってくる。時間にすれば10分も経たないあたりでヴィオロンがあらわれる。ここにはストリートビューもない

                 ぼくは7時の開演時刻に少し遅れたので、その間に何を演奏したのかは いまも分からないけれど、ここではきっとひくに違いない「阿佐ヶ谷団地」は聴けなかったが、その代わりにできたての新曲を聴かせてくれた・・・「先日、閉店したカフェ杏奴という店のママを思い出してつくったばかりの曲です」と言って奏き始めた「カフェ杏奴」だ。
                 そんな曲をつくったことをぼくは知らなかったから、「初めて『カフェ杏奴』を演奏する岩城里江子」の写真を撮って杏奴ママに送ってあげようとしていた。おかげで、心地よい思いだけは残っているのだが それがどんな曲だったのか ぼくはついぞ再現できない。ごめんなさい.。
                 因みに、この写真の後方にあるシルエットは、電気の力を借りずに音を出すSP蓄音機のホーンです。この店には竹の針をつかってSPレコードを再生する蓄音機があって、ときどき聴かせてくれます。

                カフェ杏奴とブログのチカラ3:「ブログの力」出版記念ミーティング

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                   いのうえさんが呼びかけてカフェ杏奴にブロガ−数人を集めてから3ケ月ほど経った2004年11月23日は杏奴の定休日だったので夕方から杏奴を借り切って<「ブログの力」出版記念ミーティング>というあつまりが開かれた。
                   
                   この本につけられた「Blogの可能性に気づいユーザーたち」という副題でわかるように、ブログが世の中に登場してから間もない頃だったから、ブログとはこんな風につかえるんだと伝えようとした本だ。

                   カフェ杏奴を根拠地にブログの世界と現実の場所を結ぼうとする「いのうえさん」のことを書いた「漂泊のBlogger」というエントリーが、ひとつのケースとしてとりあげられた縁で杏奴が会場に選ばれることになった。
                   この本をつくった栗田さんは、その前に秋山さんと「Be-h@usの本」をつくっている。こちらは、Be-h@usの生みの親である秋山東一氏の世界を満載した本だが、秋山さんはブログのことを知るや、この新しいメディアにぞっこんに惚れ込んで周囲の人間を強引にブログに引き込み、建築の分野ではおそらく日本最初のブログ仲間をつくった。ぼくもその被害者、いや恩恵にあずかったひとりだ。「ブログの力」出版記念ミーティングが、彼の発案であることは言うまでもない。

                  カフェ杏奴とブログのチカラ 2

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                      そのつぎに杏奴に行ったときに実物のいのうえさんに会うことができた。しかし、それがいつだったのか憶えていない。ブログに書いたはずだが、それを書いたエントリーを探しても見つからない、じつは書かなかったのかと思いはじめて・・・やっとみつけた。「 カフェ杏奴:こだわりのないということ/MyPlace(2004.06.21) 」というエントリーのコメントに書いていたのだった。

                    ・・・24日午後、カフェ杏奴に寄った。店のあるじがにこにこしてぼくを出迎えてくれたが、その笑顔の向きを変えて近くの席のお客さんに渡した。何も言われなくてもそれが「いのうえさん」であることがぼくには分かった。彼は、「杏奴ノート」に向かっていた。ノートは、店においてあって、客が他の客や店のあるじに対して何か言いたいことがあれば書いてゆく、いってみればアナログのメーリングリストのようなものだ。書いたときと読むときにずいぶんとタイムラグが生じる。いのうえさんは、ぼくにあてて何かを書き始めたころだった。

                    メールとコメントで会話しているだけなのにずいぶん親しくなった。いずれ会えるだろうとは思いつつ、約束して会うより偶然のほうがいいと思っていたが、思いがけず早く出会うことになった。
                     先日も、アメリカにいる妹が住んでいたニュージャージーのリッジウッドというまちに住んでいらしたことがあると、ぼくのサイトを読んで、メールをくださったから、いっそう身近に感じていたところだった。もちろん、すぐにうち解けて長い時間話し込んでしまった。話しているうちに、さらに思いがけない共通点があることも分かった。

                     ノートを書いた本人を目の前にして読むのも妙な気がしたので、いのうえさんがトイレに立ったときにぼくにあてたところをざっとよんだが、いずれまたゆっくり読もうと、閉じた。さまざまなコミュニケーションが増えたことをあらためて実感しそれを楽しんだ。そのあと、園芸屋でサギソウを一鉢買い、たのしい土曜の午後になった・・・

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                    カフェ杏奴とブログのチカラ

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                       2月に入ってすぐ、カフェ杏奴が閉店するときいた。( 閉店のお知らせ:カフェ杏奴より/漂泊のブロガー2 )
                      閉店する理由には思いあたるところがあったが、様子を知りたくて翌日の土曜に自転車を10分ほど走らせて杏奴に行くと、ママはいつものように淡々と、閉店することにしたと言う。
                       
                       カフェ杏奴は、いい店がみなそうであるように、多くの人にとってそれぞれに特別の場所なのだが、ブログを書き始めてまもないころに書いたエントリーに残されたコメントがきっかけで行くようになったから、ぼくには、ブログのつくるまちと現実のまちの重なりを実感できる場所として深い愛着ができていた。
                       
                       中野と神楽坂の間を自転車で通う行き帰り、ぼくは毎日のようにここの前の新目白通りか その裏の道を通るのに、数年のあいだ この店に気づかなかった。
                      いや、あるにはあると意識の外で知ってはいたのだが、店に入ろうとはついぞ思ったことがない。外から見ればすこぶる目立たないし、なによりぼくが自転車でそこを通るときには滅多に店が開いていることがないのだ。
                       2003年にブログを始めてひと月ほどの頃に、やはり通勤ルートの途中にある 林芙美子の住んでいた住宅が記念館となっていて、そこがボランティアや近所の方々によってとても気持ちよく運営されていることについて書いたことがある。
                       それを書いてから数ヶ月ほど経って、そこに「いのうえさん」というひとがコメントをくださった・・・わたしも林芙美子記念館に行ってみたくなったが、近くにカフェ杏奴という気持ちのいい店があるから行ってみてください・・・ということが書かれている。「書かれている」と現在形で書いているのは、ぼく自身 記憶を確認するために、以前のエントリーとコメントを読み直しながら書いているからだ。( 林芙美子の住んでいた家:林芙美子記念館/MyPlace/2003.11.17 )
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